2022/04/02
司馬遷さんの霊視での真実・・
司馬遷さんは、中国・前漢・武帝の時代の高級官僚・大歴史家で、彼の著書である『史記』は、時代を超えたベスト・セラーで、現代の私たちまでも読み継がれています。
司馬遷さんについては、
「武帝の西域・匈奴討伐の際に活躍した将軍・李陵(捕虜となって匈奴に捕われたが、敵方の且鞮侯単于に目をかけられ、単于の娘公主を娶り、匈奴側に帰順した・・ つまり、漢側にとっては敵方に寝返った将、ということになりますよね) を弁護した罪で、武帝の怒りを買い投獄され、去勢刑(官刑)を受け、その後赦免され、官職に戻って『史記』の執筆を許された・・」
というのが一般的史実になっています・・。
(横山光輝さんのマンガ・『史記』も有名ですよね。
※『史記』のマンガは他の著者さんの作品もあります)
私が、はじめて、司馬遷を知ったのは、まだ十代の学生の頃でしたが、
歴史の授業で、一般に伝わる史実を聞いたとき、
そんな残酷刑を受けたという大きなショックを感じたと同時に、
大きな違和感を感じたものです。
そしてその違和感は、中高年になった今もずっと印象は変わらずです。
(もしかしたら他のみなさんも、わたしと同じように違和感を感じておられる方いらっしゃるのではないでしょうか。)
とにかくね、「変だ」と思ったの。
(私は、40過ぎの遅まき霊能開き派のため、その頃は、霊感の「れ」の字もまったく皆無・・。)
だってね、
古代中国では、罪人に対して様々な刑罰がありますけど、
なんで、よりによって、あの刑(去勢)なの・・? って。。
讒言しただけで、あんな刑に遭いますかね ・・ ??
(官僚は意見を述べるのが仕事なんじゃ・・?! (゚∀゚;))
司馬遷さんの御霊にはじめてアクセスしたのは、
この歴史霊視サイトをやり出したまだ初期の頃でした。。
司馬遷さんの御霊にアクセスすると、司馬遷さんの生涯に大きな影響・関連性を持つ人物として武帝が関連しているのですが、
最初、霊視により、武帝さんの御霊から得られたメッセージは ・・、
「黙して語らず・・」
(※司馬遷さん側:私にはあらかた語ってくださいましたが、真相をある程度ポイント的になら知ってもらってもよい、という気持ちもあるが、歴史家司馬遷としての立場をずっと守りたい、という気持ち。
※武帝側:義理堅い性格で死後もなお、司馬遷さんの一件に関しては、頑固に石のように秘密を守る、という姿勢でいます)
わたしは霊世界の審神者(サニワ)ですから、
ご本人の気持ちや意志を尊重した上で発言なりしないといけません。
ですので、上記の理由から、長らく、司馬遷さんの件は、おそらく、記事にするのは難しい・・
私はある程度、御霊からライフ・レコードを知ることができたが、それを記事にすることはできるのだろうか・・ とずっと長い時期思ってきたので、どうしたものか、しばらく保留・・、となっていました。
で、数年経って、つい最近になって、
「そうだ。差支えない範囲で表現し、”ミステリーはミステリー” として書いてはどうか。」
と思い立ち、司馬遷さんの御霊自身もある程度賛同してくださったので、記事を書いてみることにしました。
司馬遷さん自身も、ご自身の起きた悲劇の真相を知ってもらいたい、という気持ちもあるのかもしれません。
(司馬遷さん自身も、あんまり詳しくは書かないでもらいたいが、あらかたかいつまんでポイント的に示してもらいたい・・という希望に沿って書いていきますね)
私が霊視により、天界のご神仏より賜った司馬遷さんのライフ・レコードというのは・・
「奸計により、とんでもない罪状を着せられ、官刑(きゅうけい: 去勢)を下されてしまったが、真実が露呈し、武帝の恩赦により歴史家としての成功が約束された・・」
というものでした・・。
つまり、謀(はかりごと)により、無実であった司馬遷さんが、とんでもない刑罰を受けてしまった後で、真実が露呈し、恩赦、というよりは、それを知った武帝の、「とんでもないことが起こってしまった。。」、という悔やんでも悔やみきれない気持ち、それが、今現在でも、あのような御霊の、”石のように頑固に黙している・・” という気持ちに現れていたようです。
武帝は、
無実の者に、あのような残酷刑、当時のおそろしい罪人に対する去勢のやり方、あまりにも恐ろしく、
真実が分かった時の大きなショックと、司馬遷さんに対してとんでもないことをしてしまった恐ろしさと申し訳なさ、それが、死してもなお、あのように
石のように黙して語らず・・。あのような心になっているのだと思います。
(武帝自身が、ある意味、その刑罰の恐ろしさに ”トラウマ” になっちゃったんじゃないかな・・)
霊視は、次のように始まりました・・
(それ以降は、スライド的に、それに関連して起こったシーンが
映し出されました・・)
(*イメージ:霊視によれば、古代中国宮廷の高級官僚の衣装は、”ナス紺” とのこと。
中国歴史ドラマ画像からお借りしてきたんですが、右の衣装は黒で、・・そうね、霊視の色を忠実に表現すると、左右二つの色を混ぜたような色になります・・)
司馬遷さんの奸計・謀(はかりごと)に関わった人物として。。
ある女性とその一派、が関連するのですが、、
(もうここからは、司馬遷さんから×印のオフレコ注意が入って武帝さんの立場も悪くするから・・と。)
・・ええとね、ちょっとね、お二人とも、陥れた人物については、ヒントでさえも、
×印のオフレコ、を入れているんで。。
つまり、こういう書き方ならいいでしょう、、
つまり、私どもの霊視によれば、
司馬遷さんは、司馬遷さんをやっかむある一派により、
ある女性とのスキャンダルをねつ造されて、
あのように恐ろしい去勢という官刑を受けてしまった。。
(↑この書き方だと、お二人は大変満足されています。。)
匈奴討伐で捕虜となり敵側に寝返った将軍・李陵を弁護して宮刑を受けた、、というのは表向きの大義名分であったようです・・。
(*仮にも、太史令という上級官僚にあのようなむごい刑罰を下した表向きの理由・大義名分・・が必要でした)
司馬遷さんて、ものすご~く真面目なお人柄である、と霊信で伝わるし、
しっかし、武帝さんも、もうちょっと調査できなかったんですかね 。・゚゚゚゚・。
(あんまりね、私の想念で武帝さんをなじると、司馬遷さんの怒りと復讐心が増幅しちゃって、武帝さんの御霊が危険なので、そこをなんとかなだめないとなんですけど。。、、)
刑の実施について霊視・霊信により判ったことは・・
武帝さんの即断で刑が決まった、、というよりは、
司馬遷さんを陥れた張本人達の讒言(ざんげん)・進言により、その刑罰が決まったとか・・
武帝さん、というのは、『衛子夫』さんの記事でも書きましたが、能力・実力のある人物を好んで重用したことで有名な皇帝なんですが、
司馬遷さんのように太史令の地位にまでついていた有能な人物を失うのは、とても惜しい・・、、と思い、いったいどうしたものか考え込みました。
(現代まで読み継がれるベスト・セラー歴史書を書けるだけの歴史家を武帝が失いたいはずはありません。)
そこへ、その官僚達は、
「司馬遷に官刑(腐刑)を施し、後にまた官僚として登用すればよい」
と進言したのでした・・ (悪)
その悪人官僚達は、司馬遷さんがそれまで着ていた太史令の官服を、宦官(去勢された宮中役人)の服に替えさせ、侮蔑しバカにして笑いものにするのが目的 でした・・
司馬遷さんは、申し開きはできなかったのでしょうか。。
霊視・霊信によれば、奸計により呼び出されて現行犯で捕えられた上、
(呼び出されてその場に行っただけで、もちろん何もないですよ、その女性とは・・)
その時の武帝さんは、政務に忙殺されており、匈奴討伐の問題で忙しく、
そのような女性スキャンダルを後回し、というか、いまいましい・煩わしい問題として政務に忙殺されているうちに、刑が施行されてしまったようです・・
※先ほども言いましたが、
司馬遷さんは、古代中国・漢の宮廷で、太史令の地位にまで就き、武帝さんも、その才能を失うのをとても惜しんだほどの人物で、現代まで読み継がれるほどの歴史書を執筆・編纂したほどの方であったために、そのように周囲の妬み・やっかみを相当買ってしまったようです。
私は、神仏のお力でいろいろなモノを視せていただきますが、
一番恐ろしくて、奇怪・キショイ(気持ち悪い)ものは、
人間の心だと思っています。。
(すべての人間がそうではないですが、ピュアな良い心の人もいれば、
そうでない人間もたくさんいるものです・・)
※そして、常々、ブログでも言っておりますが、
そのように、悪意により他人を陥れたり、危害を加えると、
やった本人が生きている時か、または亡くなってから、
同じ 裁決を受けることになるのです・・。
*真実が露呈し、また再び武帝さんから重用され出世と成功を約束され高級官僚・大歴史家として返り咲いた司馬遷さんが、自分を陥れた悪人官僚達に同じ刑を執行し復讐を遂げたのは言うまでもありません・・
(だから、他人をいじめたり、動物虐待などしている人は気をつけましょう・・)
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