2022/01/08
『オスマン帝国外伝』オスマントルコのスレイマン大帝・ヒュッレム(ヒュレム)妃を霊視
オスマン・トルコ帝国の皇后・ヒュッレム妃(ロクサレナさん)は、
”奴隷皇后”_________と題されるように、
タタール人に捕えられ、奴隷としてオスマン・トルコに売られ、皇帝に献上されたウクライナ女性。
私も数年前に、はじめて、”奴隷皇后”というキャッチコピーに衝撃を受け、
興味を持って、このシリーズを見始めたのがきっかけだったのですが、
(それまでは、そのような来歴の皇后がいた、というのを全く知りませんでした・・ 汗;)
この ”奴隷皇后”、______ というネーミングに、私も同居のスピさん達も皆 ドキリ としながら、ドラマを楽しみました______。
ちょ~っっとね、いろんなところで取り上げられているヒュッレム(ヒュレム)さん像とこちらの霊信によるイメージがだいぶ違うので、
比較しながら進んでみましょう・・ では・・!↓
参考①【歴史観によって大方の人が想像しているヒュッレム(ヒュレム)像】: 先の寵姫ギュルバハル(マヒデブラン)を押さえ、 正式なオスマン帝国皇后となり、権勢を奮った。
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それでは、霊視に入りましょう・・。↓
典型的な東欧ロシア人的容姿特徴を備えた女性。
下半身が太く、たくさん子を成せるじょうぶな体型。
あ、案外ね・・ ”庶民的”な顔立ち・・
※ヒュッレム(ヒュレム)妃については、肖像画がいくつか残されており、
(肖像画は、描く作者により、またその時の被写体の状態(体重増減や老化・・)により、
顔のイメージが違って見えますので、
当方でも霊視で描き起こしてみることにしました。)
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるヒュッレム(ヒュレム)妃
ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
目が「ひとえふたえ(象嵌=※一重に近いぐらい二重線の幅が大きくてはっきりしない二重)」
で、私の霊視画で二重線をだいぶ上のほうに書いたらどういうわけか似てなくなっちゃうので、
顔を似させるため、二重線は近く描きましたがご容赦ください。
で、アラブ風の化粧を施したのがずっと下の画像の顔になります。
天界・神界のご神仏、精霊さま達から伝達された霊視によれば、このような顔立ち、とのことです。
どちらかというと、
外国人でも、いわゆる ”地味顔”になるのだと思います・・。
(’クラシカル’ な風貌・・)
「男の人を楽しい気分にさせる気取らない、
牧歌的で地味なキャピキャピ感ヽ(^◇^)/
のある女性・・・」
(うまく伝わったかしら・・)
男のヒトがいっしょにお酒を飲んだら楽しいかしら・・??
男の人のおだて上手、明るくて気取らない楽しい会話、、の人
→ つまり、男性が ”息抜き ” するのに、ちょうど良い女性のタイプなんだ。。
(・・→・・、ていうと、思い当たる現代の女性の職業があるはず・・、、)
スレイマン大帝と楽しくお話する時のヒュッレム(ヒュレム)さん・・
(※また、霊信では、
オスマン帝国のハレムでは、「女性は慎ましくあるべし」、
という風潮があったため、外国人であることもあったのでしょうが
ヒュッレム(ヒュレム)さんのようなキャピキャピ・キャラ☆☆・・というのは、
ちょっと異例だったようです・・汗;
ましてや、皇帝に対して、、ですよ・・?
でも、一人の男性にとっては、そういう女性がまた新鮮でかわいらしく、心を捉えられた、のかもしれません・・)
アラブ風のドギツイ化粧を施した顔
美人、といえば、
第一寵姫であったギュルバハル(マヒデブラン)さんのほうが、
正統派美人だわね・・
(ギュルバハル=※「春の薔薇」の意)
まさしく、
花のある正統派美人。
(ドラマ「オスマン帝国外伝」を見る傍ら、同居のスピさん(霊さん)達と何冊か本を読んだのですが、
その中に、’「外国の使節曰く・・、ヒュッレム妃は美人ではなかった・・」’と書かれていた箇所がありました。
ヒュッレム(ヒュレム)妃は、人によっては、そのようにも見える容姿・顔立ち、だったのかもしれません。)
この花のような美人にヒュッレム(ヒュレム)妃が結果的に勝った理由は・・
スレイマン大帝の、夜の 性的嗜好=「あるシチュエーション」(ややアラブ的)にヒュッレム(ヒュレム)妃が合致したから・・
(内容は、スレイマン大帝が ”「無礼な・・!」”と大変お怒りになりますので、控えます(/ω\)
これ以上は書けません・・)
ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
「魔性の女」とか「策謀家」と歴史的に評される事もありますが・・
天界の神体の霊信によれば、
「話しやすい明るい気さくな人。。 かと思えば、気配りのできる気のつく女性でもあり、しっかりしたたかに賢い面もあり・・、ちょっとひと言で言い得ないいろんな面を持った人柄。。」
要は、いろんな面を持った多面的な人柄。。、ハレムのように ”女の争い”が渦巻いていそうな世界にあっても、あんまりね、いわゆる「邪心」っていうのがない女性だったようです。
スレイマン大帝は、どちらかいうと国母として、賢い女性、、が理想だったのだけど・・
・・
どうも、この明るいウクライナ女性にやられちゃったみたい・・
心臓ドキューーン・・!
皇帝の自然な愛情により、奴隷の身分から誰も成し得ない地位まで押し上げてもらったの。。
王宮で奉られ、皆にかしずかれ、誰も成し得ないシンデレラ・ストーリーを成し得たすごい女性・・
とのこと。
だからといって、「増上慢 (//*慢心してえばったり、ツンツンしたりだとか、我が物顔になること。)」になる
でもなく、
ふんわりとやわらかな春の陽射しのようなあたたかい人柄であったこと、
そういう善良な性格が福徳を招いたのだ、とパラレル・ワールドのご神仏は評価しておられます。
(私): 「私の個人的な感想では、まだ多感な少女の年代に言葉が全く分からない異国に連れ去られ、さぞご苦労したのではないでしょうか・・?」
(天界のご神体): 「それがね、案外ね・・、 ”生真面目”、、っていうか、そういうね、努力家な面も多分に持っていて、あんまりね、後宮のなじめない生活・風習でも、よくそれに従って、イブラヒムのようなインテリ層にもかわいがられて生きた女性。」
(私): 「柔軟な女性・・ ということですよね。」
(天界のご神体): 「はったりかまさずね、負けん気あるタイプ(負けず嫌い)なんだけど、自分はガタイが大きく(大柄)・目が斜視気味で強面(コワモテ)に見られちゃうから、
そういうの ’隠す' ため、’明るく穏やかなにこやかな笑い声で
ヽカムフラージュ(*^ o ^*)ノ・・」
※だからね、ヒュッレム(ヒュレム)妃は、自分でも、美人だとかかわいいなんて全然思ってもいなくて、ガタイがデッカくて、見た目ぱっとしない、かわいくないタイプと自分でも思っていたみたいなんです・・。
(私): 「 ’世渡り上手・・’!」
(天界のご神体): 「全く その通り。・・(汗;)」
(天界のご神体): 「それでね、【歌】を歌うことで、自分の存在を示したの・・。その明るいやさしい歌声の中に、さらに遠い自分の生まれ故郷から侵略者にかどわかされて連れてこられた自分の苦境・境遇を詠み込んだ歌を・・!
その悲しい歌詩の内容が、これから一緒に人生を歩んでいく伴侶、ここから連れ出して欲しい人、つまりスレイマン大帝の足を誘ったのかもしれない・・。」
※遠い異国に、侵略者に拉致されて連れてこられて、ハレムに入れられて、
ハレムの豪奢に着飾ったきらびやかな御人・側室達を見て、
「なんとか、ここから這い上がってやるわ。。」
みたいな、心の底にそういう野心、、まではいかないけど、
やっぱりね、一応、そういう気概、プチ野心、みたいなものは確かに持ってはいたようですけど、
なんかさ、何か悪巧みを考えて他人を陥れて蹴散らして・・、とかそういうタイプでは全然なくてね、
かといって何にも考えていないタイプでもないから、
何か策を講じるにも明るくプチかわゆくやるタイプ・・
つまり、そういうのにも邪心がないタイプ・・
※やっぱりね、けっこう、深く霊視してもらうと、やっぱり人ってすさまじい・・ (*_*;
※私個人的には、ヒュッレム(ヒュレム)さんて、柔軟ながらもすごく複雑でつかみどころがないタイプ・・。
やっぱり「◯o◯” 譲 向いてるよ・・」って思ってしまう。。
※いろいろなんでしょうけど、ご神仏様達が評価しているのは、
やっぱり、悲惨な境遇にもめげず、努力して懸命に生きたからだ、ということです。
なるほど・・。
スレイマン大帝については、ヒュッレム(ヒュレム)妃同様、肖像画が多数残されていますが、
なぜか横顔ばかりの肖像画が多いので、

一応、
当方(天界のご神仏さまから)の霊視による画像を載せておきます・・
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるスレイマン大帝
男前ですよね・・。
整ったハンサムなお顔立ちだと思います。
スレイマン1世の治世に、周辺の領土拡大の度重なる遠征を成功させ、国家統治の最盛期を迎えた。
”壮麗王”と称されるとおり、
霊信によれば、
度重なる対外遠征費、豪奢な建造物、自身の豪奢な着衣・後宮の豪華な運営費、などに国家財源が投入された、とのこと。
さらに 霊信によれば・・
在位期間中、東欧・中央(ハンガリー、ウィーン)への長期にわたる度重なる海外軍事遠征、
領土拡張と海上交易路の掌握、、への軍事費用等々・・、
豪奢な宮廷運営費、壮麗な建造物の建設・・
それらにより国家財産を疲弊・窮乏させ、
体制への不満からトルコ周辺部族との対立も招き、
イェニチェリ(軍)の不満を招き、内乱が勃発した・・。
手厳しい言い方をすれば、
このように国家財源を過度の贅沢により消費するのは愚の骨頂・・。
それが原因で、
新しい反体制派(イェニチェリ)が台頭し、
反乱が勃発したが・・
それは、ムスタファ(マヒデブランの息子)を中心とした反対勢力であり、
そちらのムスタファ派のほうが支持者が多くまともな考え方の勢力、であったこと。
つまり、ムスタファ派が政権を執ったほうがまともな国政になったであろう、ということで、
一般的に知られる史実と一致しているようです・・。
多くの歴史観で、
ヒュッレム(ヒュレム)妃が策謀をめぐらし、ムスタファ皇子を追い込んだ・・、みたいに言われることもあるようですが、
霊信によれば、そうではないとのこと。
あんまりね、あこぎな女性ではなかった、とのことです。
ドラマ『オスマン帝国外伝』の物語に照らし合わせた時代背景・キャスト・それぞれの人生などを書くと、
それこそ膨大な記事になってしまうので、
今回は、ここまでで、ヒュッレム(ヒュレム)さんのパーソナリティ止まり、で簡単にしておきましょう。。
ヒュッレム(ヒュレム)妃は、オスマン帝国の従来の伝統であるハレムの一夫多妻制を変え、皇帝と法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一妻の関係を築いた女性で、
どんなパーソナリティの女性なのか、私もですが、
みなさんも、気になったかもしれませんね。
また、お正月にふさわしい豪華なトピックですね。