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『オスマン帝国外伝』オスマントルコのスレイマン大帝・ヒュッレム(ヒュレム)妃を霊視

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オスマン・トルコ帝国の皇后・ヒュッレム妃(ロクサレナさん)は、
”奴隷皇后”_________と題されるように、
タタール人に捕えられ、奴隷としてオスマン・トルコに売られ、皇帝に献上されたウクライナ女性。
私も数年前に、はじめて、”奴隷皇后”というキャッチコピーに衝撃を受け、
興味を持って、このシリーズを見始めたのがきっかけだったのですが、
(それまでは、そのような来歴の皇后がいた、というのを全く知りませんでした・・ 汗;)
この ”奴隷皇后”、______ というネーミングに、私も同居のスピさん達も皆  としながら、ドラマを楽しみました______。


ちょ~っっとね、いろんなところで取り上げられているヒュッレム(ヒュレム)さん像とこちらの霊信によるイメージがだいぶ違うので、
比較しながら進んでみましょう・・ では・・!↓



参考①【歴史観によって大方の人が想像しているヒュッレム(ヒュレム)像】:
タタール人により、征服奴隷として捕われ、皇帝のハレム(後宮)に献上された。スレイマン大帝の寵姫となり、立て続けに皇子・皇女(6人 *うち2人は早産だったり、夭折。)を成し、

先の寵姫ギュルバハル(マヒデブラン)を押さえ、

正式なオスマン帝国皇后となり、権勢を奮った。


参考②【篠原千絵さんのマンガ『夢の雫、黄金の鳥籠』で捉えられているヒュッレム(ヒュレム)像】:
篠原千絵さんが捉えておられるヒュッレムのパーソナリティは、
「機知に富んだ、頭の良い女性」像です。





それでは、霊視に入りましょう・・。↓


典型的な東欧ロシア人的容姿特徴を備えた女性。

下半身が太く、たくさん子を成せるじょうぶな体型。

あ、案外ね・・ ”庶民的”な顔立ち・・



※ヒュッレム(ヒュレム)妃については、肖像画がいくつか残されており、Hurrem portrait

(肖像画は、描く作者により、またその時の被写体の状態(体重増減や老化・・)により、
顔のイメージが違って見えますので、
当方でも霊視で描き起こしてみることにしました。)






Roxallena1
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるヒュッレム(ヒュレム)妃




ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
目が「ひとえふたえ(象嵌=※一重に近いぐらい二重線の幅が大きくてはっきりしない二重)」
で、私の霊視画で二重線をだいぶ上のほうに書いたらどういうわけか似てなくなっちゃうので、
顔を似させるため、二重線は近く描きましたがご容赦ください。
で、アラブ風の化粧を施したのがずっと下の画像の顔になります。
天界・神界のご神仏、精霊さま達から伝達された霊視によれば、このような顔立ち、とのことです。

どちらかというと、
外国人でも、いわゆる ”地味顔”になるのだと思います・・。
(’クラシカル’ な風貌・・)


男の人を楽しい気分にさせる気取らない、

牧歌的で地味なキャピキャピ感ヽ(^◇^)/

のある女性・・・



(うまく伝わったかしら・・)
男のヒトがいっしょにお酒を飲んだら楽しいかしら・・??
男の人のおだて上手、明るくて気取らない楽しい会話、、の人

→ つまり、男性が ”息抜き ” するのに、ちょうど良い女性のタイプなんだ。。
(・・→・・、ていうと、思い当たる現代の女性の職業があるはず・・、、)



Roxallena3
スレイマン大帝と楽しくお話する時のヒュッレム(ヒュレム)さん・・


(※また、霊信では、
オスマン帝国のハレムでは、「女性は慎ましくあるべし」、
という風潮があったため、外国人であることもあったのでしょうが
ヒュッレム(ヒュレム)さんのようなキャピキャピ・キャラ☆☆・・というのは、
ちょっと異例だったようです・・汗;
ましてや、皇帝に対して、、ですよ・・?
でも、一人の男性にとっては、そういう女性がまた新鮮でかわいらしく、心を捉えられた、のかもしれません・・)


Roxallena
アラブ風のドギツイ化粧を施した顔





美人、といえば、
第一寵姫であったギュルバハル(マヒデブラン)さんのほうが、
正統派美人だわね・・
(ギュルバハル=※「春の薔薇」の意)


Mahidevran sultan


まさしく、
花のある正統派美人。
(ドラマ「オスマン帝国外伝」を見る傍ら、同居のスピさん(霊さん)達と何冊か本を読んだのですが、
その中に、’「外国の使節曰く・・、ヒュッレム妃は美人ではなかった・・」’と書かれていた箇所がありました。
ヒュッレム(ヒュレム)妃は、人によっては、そのようにも見える容姿・顔立ち、だったのかもしれません。)



この花のような美人にヒュッレム(ヒュレム)妃が結果的に勝った理由は・・

スレイマン大帝の、夜の 性的嗜好=「あるシチュエーション(ややアラブ的)にヒュッレム(ヒュレム)妃が合致したから・・
(内容は、スレイマン大帝が ”「無礼な・・!」”と大変お怒りになりますので、控えます(/ω\)
これ以上は書けません・・)




ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
「魔性の女」とか「策謀家」と歴史的に評される事もありますが・・

天界の神体の霊信によれば、
「話しやすい明るい気さくな人。。 かと思えば、気配りのできる気のつく女性でもあり、しっかりしたたかに賢い面もあり・・、ちょっとひと言で言い得ないいろんな面を持った人柄。。」
要は、いろんな面を持った多面的な人柄。。、ハレムのように ”女の争い”が渦巻いていそうな世界にあっても、あんまりね、いわゆる「邪心」っていうのがない女性だったようです。
スレイマン大帝は、どちらかいうと国母として、賢い女性、、が理想だったのだけど・・
・・
どうも、この明るいウクライナ女性にやられちゃったみたい・・
心臓ドキューーン・・!
皇帝の自然な愛情により、奴隷の身分から誰も成し得ない地位まで押し上げてもらったの。。

王宮で奉られ、皆にかしずかれ、誰も成し得ないシンデレラ・ストーリーを成し得たすごい女性・・
とのこと。
だからといって、「増上慢 (//*慢心してえばったり、ツンツンしたりだとか、我が物顔になること。)」になる

でもなく、
ふんわりとやわらかな春の陽射しのようなあたたかい人柄であったこと、
そういう善良な性格が福徳を招いたのだ、とパラレル・ワールドのご神仏は評価しておられます。

(私): 「私の個人的な感想では、まだ多感な少女の年代に言葉が全く分からない異国に連れ去られ、さぞご苦労したのではないでしょうか・・?」

(天界のご神体):  「それがね、案外ね・・、 ”生真面目”、、っていうか、そういうね、努力家な面も多分に持っていて、あんまりね、後宮のなじめない生活・風習でも、よくそれに従って、イブラヒムのようなインテリ層にもかわいがられて生きた女性。」

(私): 「柔軟な女性・・ ということですよね。」

(天界のご神体): 「はったりかまさずね、負けん気あるタイプ(負けず嫌い)なんだけど、自分はガタイが大きく(大柄)・目が斜視気味で強面(コワモテ)に見られちゃうから、
そういうの ’隠す' ため、’明るく穏やかなにこやかな笑い声で

  ヽカムフラージュ(*^ o ^*)・・」


※だからね、ヒュッレム(ヒュレム)妃は、自分でも、美人だとかかわいいなんて全然思ってもいなくて、ガタイがデッカくて、見た目ぱっとしない、かわいくないタイプと自分でも思っていたみたいなんです・・。




(私): 「 ’世渡り上手・・’!」

(天界のご神体): 「全く その通り。・・(汗;)」

(天界のご神体): 「それでね、【歌】を歌うことで、自分の存在を示したの・・。その明るいやさしい歌声の中に、さらに遠い自分の生まれ故郷から侵略者にかどわかされて連れてこられた自分の苦境・境遇を詠み込んだ歌を・・!
その悲しい歌詩の内容が、これから一緒に人生を歩んでいく伴侶、ここから連れ出して欲しい人、つまりスレイマン大帝の足を誘ったのかもしれない・・。」


※遠い異国に、侵略者に拉致されて連れてこられて、ハレムに入れられて、
ハレムの豪奢に着飾ったきらびやかな御人・側室達を見て、
「なんとか、ここから這い上がってやるわ。。」
みたいな、心の底にそういう野心、、まではいかないけど、
やっぱりね、一応、そういう気概、プチ野心、みたいなものは確かに持ってはいたようですけど、
なんかさ、何か悪巧みを考えて他人を陥れて蹴散らして・・、とかそういうタイプでは全然なくてね、
かといって何にも考えていないタイプでもないから、
何か策を講じるにも明るくプチかわゆくやるタイプ・・
つまり、そういうのにも邪心がないタイプ・・


※やっぱりね、けっこう、深く霊視してもらうと、やっぱり人ってすさまじい・・ (*_*;

※私個人的には、ヒュッレム(ヒュレム)さんて、柔軟ながらもすごく複雑でつかみどころがないタイプ・・。
やっぱり「◯o◯” 譲 向いてるよ・・」って思ってしまう。。


※いろいろなんでしょうけど、ご神仏様達が評価しているのは、
やっぱり、悲惨な境遇にもめげず、努力して懸命に生きたからだ、ということです。



なるほど・・。






スレイマン大帝については、ヒュッレム(ヒュレム)妃同様、肖像画が多数残されていますが、
なぜか横顔ばかりの肖像画が多いので、

Sleiman portrait

一応、
当方(天界のご神仏さまから)の霊視による画像を載せておきます・・



sleiman
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるスレイマン大帝




男前ですよね・・。
整ったハンサムなお顔立ちだと思います。


スレイマン1世の治世に、周辺の領土拡大の度重なる遠征を成功させ、国家統治の最盛期を迎えた。
”壮麗王”と称されるとおり、
霊信によれば、
度重なる対外遠征費、豪奢な建造物、自身の豪奢な着衣・後宮の豪華な運営費、などに国家財源が投入された、とのこと。


さらに 霊信によれば・・

在位期間中、東欧・中央(ハンガリー、ウィーン)への長期にわたる度重なる海外軍事遠征、
領土拡張と海上交易路の掌握、、への軍事費用等々・・、
豪奢な宮廷運営費、壮麗な建造物の建設・・
それらにより国家財産を疲弊・窮乏させ、
体制への不満からトルコ周辺部族との対立も招き、
イェニチェリ(軍)の不満を招き、内乱が勃発した・・。
手厳しい言い方をすれば、
このように国家財源を過度の贅沢により消費するのは愚の骨頂・・。
それが原因で、
新しい反体制派(イェニチェリ)が台頭し、
反乱が勃発したが・・
それは、ムスタファ(マヒデブランの息子)を中心とした反対勢力であり、
そちらのムスタファ派のほうが支持者が多くまともな考え方の勢力、であったこと。
つまり、ムスタファ派が政権を執ったほうがまともな国政になったであろう、ということで、
一般的に知られる史実と一致しているようです・・。
多くの歴史観で、
ヒュッレム(ヒュレム)妃が策謀をめぐらし、ムスタファ皇子を追い込んだ・・、みたいに言われることもあるようですが、
霊信によれば、そうではないとのこと。
あんまりね、あこぎな女性ではなかった、とのことです。


ドラマ『オスマン帝国外伝』の物語に照らし合わせた時代背景・キャスト・それぞれの人生などを書くと、
それこそ膨大な記事になってしまうので、
今回は、ここまでで、ヒュッレム(ヒュレム)さんのパーソナリティ止まり、で簡単にしておきましょう。。



ヒュッレム(ヒュレム)妃は、オスマン帝国の従来の伝統であるハレムの一夫多妻制を変え、皇帝と法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一妻の関係を築いた女性で、
どんなパーソナリティの女性なのか、私もですが、
みなさんも、気になったかもしれませんね。



 また、お正月にふさわしい豪華なトピックですね。


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トンイ(淑嬪崔氏)を霊視


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今日は、韓国の歴史で聖君(善政を敷いた王様)として有名な英祖の生母・淑嬪崔氏を霊視します。
朝鮮王朝・粛宗の妃嬪ですかね。
(しばらくぶりの投稿で、お題は何にしようかな~、と悩んでましたら、
天界・神界のほうで、ご指名ありましたので、淑嬪崔氏にしました。)


淑嬪崔氏については、韓国歴史ドラマで、いくつか作品化されているようですが、
最近の作品ですと、イ・ビョンフン監督の『トンイ』がありますが、
(*イ・ビョンフン監督作品は、韓流歴史ドラマで唯一、暴虐な拷問シーンなど極力ない
子供でも安心して見れる、日本でいうならば、NHK的要素を持った
 ”安全韓国歴史ドラマ”なので、同居の子供スピさん&動植物スピさん達と
非常に安心して観れますv。)


イ・ビョンフン監督作品『トンイ』で描かれる淑嬪崔氏は、

賢く、すばしこく立ち回れる、気取りがない性格、、 の女性像
として描かれていますよね。

韓国ドラマでは、女優のハン・ヒョジュさんが、トンイを爽やかに好演してらっしゃいましたが、
実際の淑嬪崔氏は、どんな女性だったのでしょうか・・?

霊信により、伝えていただきましょう・・。



※淑嬪崔氏に関する ”一般的史実” はこちらでどうぞ..↓↓






【天界による霊視と霊信・・】



CheSukupin


私どもの霊視による淑嬪崔氏




色黒で目が小さく、小さい目のクリっとした目。
顔のパーツがどれも小さく、鼻が丸い、愛嬌のある感じ・・。
美人ではない・・。

老人になった時のヴィジョンも併せて見せていただきましたが、
この顔のまま髪が白くなった状態で、小さいクリッとした愛嬌のある目は変わらない・・
そのような感じ・・



淑嬪崔氏に関する有名なエピソードとして、「水汲み」女官・・ と言われて、
揶揄されたり馬鹿にされた・・
・・・というエピソードがありますが、
霊信によれば、
宮廷の雑事を担当する女官・・
なのだそうです。



でね、なぜ粛宗の妃嬪、という立場になれたのか・・


霊信によれば・・

(天界の神体): 「粛宗が酒に酔ってふらついていた時、たまたま部屋の雑事をしていた淑嬪崔氏を後ろから眺めて、まめまめしく立ち働く腰のあたりにむらむらっときてしまった・・」

・・のだとか・・

(※注:霊視によれば、”色っぽい”腰つき、だとかそういう感じではなく、身分の低い女官なので、白衣のチマと普通並みの腰体型。 なにぶん、酔っている時であったので、タイプだとかそんなではなく、” なんとなく・・ " そんな感じになったようなのです。)


(=※要は、” ラッキー・ガール ” のような感じ・・?=)





(天界の神体): 「淑嬪崔氏は、ひと言でいうと・・・・ 


 根性悪い 女性”  ・・・。」
     
(え・・? Σ(゚Д゚;)




粛宗時代の同じく側室である、朝鮮史上、悪女として名高い張妃嬪(チャン・ヒビン)もね、
これもまた確かに悪い女性なんだけれども、
最終的に あること をして、勝ったんですね、張妃嬪(チャン・ヒビン)に淑嬪崔氏のほうが・・



そ・れ・は・・


粛宗の正妃(正妻の王妃)は、仁顕王后閔氏であり、
当時の朝鮮王宮では、西人派と南人派の政治の派閥闘争が展開されていて、仁顕王后閔氏側についていた西人派が政権を握っていた。
仁顕王后は王妃に冊封され、6年を経ても子供に恵まれなかったため(不妊)、
対抗する荘烈大王大妃(姑)側の南人派は康熙25年(1686年)に「美貌に秀でた」中人(チュンイン/平民)出身の張氏(後の張妃嬪=チャン・ヒビン)を再度、後宮に送りこみ、承恩尚宮(スンウンサングン、正五品に相当)とした。 張氏は1686年12月10日に「淑媛」(スグォン、従四品に相当)に立てられ、さらに1688年に「昭儀」(ソイ、正二品に相当)へと昇進し、同年10月27日には王子李昀(後の景宗)を生み、康熙28年(1689年)1月15日にはその功労によって「嬪」(ピン、正一品に相当。側室の最上位)に昇進し「禧嬪(ヒビン)」と号され、李昀は王世子に立てられた。さらに同年5月2日、仁顕王后は廃され(廃妃)、1690年10月22日に張氏が王妃に冊封された[己巳換局] )。
これにより、それまでの西人派の専横に終止符が打たれ、それに代わって張氏側の南人派が権力を握ることになった。
また、しばらくして、これに対抗して、西人派では金春澤を中心に仁顕王后の復位運動(「閔氏重定運動」)が展開され、南人派の権力がかつての西人派のように増長することを危惧した粛宗が、仁顕王后を妃に復位することで張氏を後ろ盾にする南人派を牽制しようと企んだことにより、康熙33年(1694年)4月12日には張氏は王妃から「嬪」に格下げされ仁顕王后が復位した[甲戌換局]。 康熙40年(1701年)に仁顕王后が病没すると、西人派は王妃の死は張氏が巫女を使って呪詛したためだと誣告した。その結果、1701年11月9日、張氏は粛宗から賜薬により処刑された。


↑上記、歴史上伝わっている史実の中で、
私が赤字で示した箇所を見てほしいんですけど、
張妃嬪(チャン・ヒビン)が側室から王妃になり、張妃嬪(チャン・ヒビン)と南人派側が実権を握り、
南人派の政治専横を恐れた粛宗が仁顕王后閔氏をまた再び王妃に復位させますよね、数年後に仁顕王后閔氏は病没するのですが、その際、「西人派は王妃の死は張氏が巫女を使って呪詛したためだと誣告した」とありますが、
以下(緑)は、どの史実にも残されていませんが、
霊信によれば、
西人派というよりは、
淑嬪崔氏、本人が呪詛の証拠ねつ造をして(呪術の人形を用意して)陥れた張本人である、

・・ということです。
(張妃嬪(チャン・ヒビン)はその罪状により賜薬により処刑されますが、
つまり、霊信によれば、
この件に関しては張妃嬪(チャン・ヒビン)は全くの無実で、
淑嬪崔氏により陥れられてしまった、 というわけ・・)

・・だぁからね、ご神仏が言うのに、

”根性が悪い” 、っって・・ ・゚゚・。



霊信によれば、
淑嬪崔氏は、
仁顕王后さん仕えになり、お世話になった経緯があって、
仁顕王后に恩義と忠義の気持ちを持っていたのね。。
もちろん、それだけではもちろんないでしょうけど、
世継ぎ争いや、
張妃嬪(チャン・ヒビン)に牽制される中で、
侮蔑的な言葉を吐かれる、、・・などがあったようです・・。





・・そして、
霊信によれば、淑嬪崔氏は、

「’孤独な’ 老後」・・。

(仮にも、王の妃嬪として華やかなシンデレラ・ストーリーを送った人なのに、
どういうことなんでしょう・・??)




今回、淑嬪崔氏を記事にするにあたり、
息子の英祖(延礽君)さんは、
自分には一人のやさしい母親だから、
腹立たしかったかもしれない。。
でもね、
英祖(延礽君)さんは、
朝鮮王朝史の中で、”聖君” と讃えられるほど善政を敷いた
有名な王様で、心正しき人だから、
母親の罪業を良心により冷静に評していて、
罪業を贖ってほしい・・ と思っているみたい。。



天界の神仏がおっしゃるには、
’ 淑嬪崔氏は、
生まれ(出自が良ければ)頭のよい派手な性格の人だったんだけれども、
生まれた身分が低いため、学をつける機会がなかった。。'
・・とのこと。
でも、やっぱり、偶然にしろ何にしろ、結果的に粛宗のお手付きになって、
国王の母にまで登りつめ、
そのDNAは、しっかり英祖(延礽君)さんに受け継がれたのではないか、と思います。



わたしは、いろんな韓国歴史ドラマや中国歴史ドラマを見てますけれど、
最終的に、息子が王位に就いた生母の妃、、というのがね、
(出自の正しい高貴な身分の女性は別にして・・)
かな~りね・・ かなーーーーりな奴なんではないか・・と思ってます。

(もちろん、全部が全部ではないですが・・ 当然、、・・)
(つ、つまりね、最終的な生き残りのためにかなりな悪どいことをやっているのがいるんではないかと・・)


まあね、単純なんですよ、・・
中国史や韓国史の後宮の女性の争い、って、、・・
「策謀」。。 っていうの?
わたしだって、そんなのやり方とかいくつも思い付くし、
やろうと思えば、勝てますよ、、v 。。 


け・ど・ね 、、・・


この世には、犯してはならない ’罪’ 、 ’(心の)善・悪と裁決’  というものがあり、
今世に生きている者はもとより、
心霊世界においてはさらに厳しく審判・裁決される、
裁かるるべきものなのだ、、ということ。
だから、英祖(延礽君)さんも正しき人だから、
今回わたしにこの記事の公開を赦してくださったのかもしれません。。




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プロフィール

前世占い師エティース

Author:前世占い師エティース
(エティースと前世の子供Wes&Rao)


いただいている霊的お役目は、審神者(サニワ)です。
審神者だけに霊体の見分けを得意としております。
こちらの歴史霊視ブログでは、
金兎占」による、歴史上の人物の霊視ヴィジョンとその生涯を、
神界・天界のご神仏のお力をお借りして伝達してまいります。
(なぜ金兎というかは、こちら をごらんください。わたしの直前の転生来歴によります。)
わたしと前世・心霊世界の扉が開いたきっかけ、同調してくださる境界の神様達や、同居のスピさん(前世霊・縁の深い大家族霊)達との交流については、下記のメインブログをご覧ください↓





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