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北条政子さんを霊視



昨年、NHK大河で話題になった『鎌倉殿の13人』から、だいぶ遅れまして、

(昨年、そのテレビ観たかったんですけど、見れなくて、なかなか記事にすることができず、)

今頃ですが、

北条政子さんをとりあげたいと思います・・。



私がまだ小学生の時分、霊感のあった祖母から、

「【尼将軍】なんて、その時代の大昔の女の人でそんな風になったなんて、すごすぎる・・!」

(女性にしてみれば、すご~く大昔の日本の女性が、男を押しのけ、そんな風に出世できる、

というのが祖母にしてみれば、痛快に映っていたのかもしれません・・。

・・と同時に、祖母曰く、「昔の女の人はかわいそうだよ。。」そんな風にも言ってましたね。

これは、日本の歴史の中で、戦国時代など、政略結婚の道具的に、婚姻なども定められ、自由など到底なかったこと、昔は、避妊などの方法が確立していなかったため、女性は常に受け身で、子供を次々に孕んで産まねばならなかったこと・・、また医療技術が未発達で、お産などで命を落とす女性も多かったであろうこと・・」。 男中心の社会の中で、今風にいえば、「個人の力を発揮して運命を切り開く」のとは対極な無力な女性、そんな風に扱われてきたからなのかと思います。)



さてね、

北条政子さん、

詳しくは、みなさん、昨年、『鎌倉殿の13人』で観たでしょうし、

歴史上有名な人物なので、

だいたい皆さんご存知でしょうから、詳しい説明は割愛し、

( * wikipedia をご参照ください・・)



さて、霊視のほうに移っていきましょう・・


心霊世界曰く・・

北条政子さんは、頭の良い女性・・。頼朝はしてやったり・・だな・・。」


(政子さんが頼朝さんをほとんど押し上げたのではないですかね・・)



また、も一つ曰く・・

北条政子さんは、ふつうの人ではない・・

※”ふつうでない” という表現は、いいことであったり反対に悪いことであったり、します。

ここの箇所もよく覚えておいてください・・。




現代に現存して残っている絵姿の源頼朝さんて、大変にハンサムなお顔立ちですよね・・。

おそらく、

北条政子さんは、

平治の乱で敗れ、流罪となった源頼朝さんに惚れたのでしょう・・。

(ええとね、情熱的な女性かな・・)


で、

霊視のヴィジョンによる

北条政子さん・・ ↓



Masako Hojo



美人すぎる・・!



これがね・・


この時代、これだけしっかりしたお顔立ち・・ 

かなりな美人ですよ・・!



頼朝さんのほうも、・・

「これは・・ かなりの美しい女人・・」

・・と悦んだはずなんですね・・。



ですがね、、



ここまでは いいのよ、頭が良くて美しくて・・ 北条政子さん・・!」



wiki のほうの説明にもありますが、

その後、源頼朝さん、折につけ、その時々で、お妾さんが何人もおられたようなんですが・・


で、北条政子さんが激しく嫉妬して・・ お妾さんの家を打ち壊したり・・、 と、

他にさまざまな逸話がおありのようです・・。



神仏曰く、

「北条政子さんは、嫉妬深い火のような激しい女人・・」



・・と同時に、神仏は、


北条政子さんの中の、


’気’ の病を発見していたのでした・・


’気’の病、というより、’血’の病 でもあるんですけど・・

blood2.png


ええとね、

霊信によれば、

母方のほうの遺伝性の(大袈裟に書けば)精神疾患、、・・のようなもの・・



これは、精神疾患のようなもので、一度カ――――ッとくると、もう誰も何もどうすることもできない_____________。


(ちょっとですね、以前とりあげた、則天武后、のように、肉刑も辞さない_______、というような、激しいハード・コアご気質の女人、であったようなのです。)



ですから、そのような、女性関係の嫉妬だとか、頭にくると、

とにかく一度何かしてやらなければ気が済まない_____________!

(ご本人が、そのように言っておられるのですから・・。)



有能で、頭のすばらしい、大変な女傑であられたはずなんですけど、

御性格がよろしくないところがおありですよね_________↓




あのような法師の姿におなりになられたのは、

ご自分でも もうどうしようもない、体の中・頭の中から湧き上がる激しいご気性______

何かそれを沈めたい______、神仏にすがりたい気持ちもあったのではないでしょうか____。




司馬遷さんの霊視での真実・・

minoan_mini.png



司馬遷さんは、中国・前漢・武帝の時代の高級官僚・大歴史家で、彼の著書である『史記』は、時代を超えたベスト・セラーで、現代の私たちまでも読み継がれています。


司馬遷さんについては、

「武帝の西域・匈奴討伐の際に活躍した将軍・李陵(捕虜となって匈奴に捕われたが、敵方の且鞮侯単于に目をかけられ、単于の娘公主を娶り、匈奴側に帰順した・・ つまり、漢側にとっては敵方に寝返った将、ということになりますよね) を弁護した罪で、武帝の怒りを買い投獄され、去勢刑(官刑)を受け、その後赦免され、官職に戻って『史記』の執筆を許された・・」


というのが一般的史実になっています・・。




 Shiba_Sen.png    Shiba_Sen2.png

(横山光輝さんのマンガ・『史記』も有名ですよね。

※『史記』のマンガは他の著者さんの作品もあります)




私が、はじめて、司馬遷を知ったのは、まだ十代の学生の頃でしたが、

歴史の授業で、一般に伝わる史実を聞いたとき、

そんな残酷刑を受けたという大きなショックを感じたと同時に、

大きな違和感を感じたものです。

そしてその違和感は、中高年になった今もずっと印象は変わらずです。

(もしかしたら他のみなさんも、わたしと同じように違和感を感じておられる方いらっしゃるのではないでしょうか。)


とにかくね、「変だ」と思ったの。

(私は、40過ぎの遅まき霊能開き派のため、その頃は、霊感の「れ」の字もまったく皆無・・。)

だってね、

古代中国では、罪人に対して様々な刑罰がありますけど、

なんで、よりによって、あの刑(去勢)なの・・? って。。

讒言しただけで、あんな刑に遭いますかね ・・ ??

(官僚は意見を述べるのが仕事なんじゃ・・?! (゚∀゚;))

 



司馬遷さんの御霊にはじめてアクセスしたのは、

この歴史霊視サイトをやり出したまだ初期の頃でした。。

司馬遷さんの御霊にアクセスすると、司馬遷さんの生涯に大きな影響・関連性を持つ人物として武帝が関連しているのですが、

最初、霊視により、武帝さんの御霊から得られたメッセージは ・・、


「黙して語らず・・」


(※司馬遷さん側:私にはあらかた語ってくださいましたが、真相をある程度ポイント的になら知ってもらってもよい、という気持ちもあるが、歴史家司馬遷としての立場をずっと守りたい、という気持ち。

※武帝側:義理堅い性格で死後もなお、司馬遷さんの一件に関しては、頑固に石のように秘密を守る、という姿勢でいます)



わたしは霊世界の審神者(サニワ)ですから、

ご本人の気持ちや意志を尊重した上で発言なりしないといけません。

ですので、上記の理由から、長らく、司馬遷さんの件は、おそらく、記事にするのは難しい・・

私はある程度、御霊からライフ・レコードを知ることができたが、それを記事にすることはできるのだろうか・・ とずっと長い時期思ってきたので、どうしたものか、しばらく保留・・、となっていました。


で、数年経って、つい最近になって、

「そうだ。差支えない範囲で表現し、”ミステリーはミステリー” として書いてはどうか。」

と思い立ち、司馬遷さんの御霊自身もある程度賛同してくださったので、記事を書いてみることにしました。

司馬遷さん自身も、ご自身の起きた悲劇の真相を知ってもらいたい、という気持ちもあるのかもしれません。

(司馬遷さん自身も、あんまり詳しくは書かないでもらいたいが、あらかたかいつまんでポイント的に示してもらいたい・・という希望に沿って書いていきますね)



私が霊視により、天界のご神仏より賜った司馬遷さんのライフ・レコードというのは・・

「奸計により、とんでもない罪状を着せられ、官刑(きゅうけい: 去勢)を下されてしまったが、真実が露呈し、武帝の恩赦により歴史家としての成功が約束された・・」


というものでした・・。



つまり、謀(はかりごと)により、無実であった司馬遷さんが、とんでもない刑罰を受けてしまった後で、真実が露呈し、恩赦、というよりは、それを知った武帝の、「とんでもないことが起こってしまった。。」、という悔やんでも悔やみきれない気持ち、それが、今現在でも、あのような御霊の、”石のように頑固に黙している・・” という気持ちに現れていたようです。


武帝は、

無実の者に、あのような残酷刑、当時のおそろしい罪人に対する去勢のやり方、あまりにも恐ろしく、

真実が分かった時の大きなショックと、司馬遷さんに対してとんでもないことをしてしまった恐ろしさと申し訳なさ、それが、死してもなお、あのように

石のように黙して語らず・・。あのような心になっているのだと思います。

(武帝自身が、ある意味、その刑罰の恐ろしさに ”トラウマ” になっちゃったんじゃないかな・・)




霊視は、次のように始まりました・・



(それ以降は、スライド的に、それに関連して起こったシーンが

映し出されました・・)


Shiba_Sen3.png

(*イメージ:霊視によれば、古代中国宮廷の高級官僚の衣装は、”ナス紺” とのこと。

中国歴史ドラマ画像からお借りしてきたんですが、右の衣装は黒で、・・そうね、霊視の色を忠実に表現すると、左右二つの色を混ぜたような色になります・・)





司馬遷さんの奸計・謀(はかりごと)に関わった人物として。。


ある女性とその一派、が関連するのですが、、

(もうここからは、司馬遷さんから×印のオフレコ注意が入って武帝さんの立場も悪くするから・・と。)


・・ええとね、ちょっとね、お二人とも、陥れた人物については、ヒントでさえも、

×印のオフレコ、を入れているんで。。



つまり、こういう書き方ならいいでしょう、、


つまり、私どもの霊視によれば、

司馬遷さんは、司馬遷さんをやっかむある一派により、

ある女性とのスキャンダルをねつ造されて、

あのように恐ろしい去勢という官刑を受けてしまった。。

(↑この書き方だと、お二人は大変満足されています。。)



匈奴討伐で捕虜となり敵側に寝返った将軍・李陵を弁護して宮刑を受けた、、というのは表向きの大義名分であったようです・・。

(*仮にも、太史令という上級官僚にあのようなむごい刑罰を下した表向きの理由・大義名分・・が必要でした)



司馬遷さんて、ものすご~く真面目なお人柄である、と霊信で伝わるし、

しっかし、武帝さんも、もうちょっと調査できなかったんですかね 。・゚゚゚゚・。

(あんまりね、私の想念で武帝さんをなじると、司馬遷さんの怒りと復讐心が増幅しちゃって、武帝さんの御霊が危険なので、そこをなんとかなだめないとなんですけど。。、、)



刑の実施について霊視・霊信により判ったことは・・

武帝さんの即断で刑が決まった、、というよりは、

司馬遷さんを陥れた張本人達の讒言(ざんげん)・進言により、その刑罰が決まったとか・・

武帝さん、というのは、『衛子夫』さんの記事でも書きましたが、能力・実力のある人物を好んで重用したことで有名な皇帝なんですが、

司馬遷さんのように太史令の地位にまでついていた有能な人物を失うのは、とても惜しい・・、、と思い、いったいどうしたものか考え込みました。

(現代まで読み継がれるベスト・セラー歴史書を書けるだけの歴史家を武帝が失いたいはずはありません。)

そこへ、その官僚達は、


「司馬遷に官刑(腐刑)を施し、後にまた官僚として登用すればよい」


と進言したのでした・・ (悪

 

その悪人官僚達は、司馬遷さんがそれまで着ていた太史令の官服を、宦官(去勢された宮中役人)の服に替えさせ、侮蔑しバカにして笑いものにするのが目的 でした・・



司馬遷さんは、申し開きはできなかったのでしょうか。。

霊視・霊信によれば、奸計により呼び出されて現行犯で捕えられた上、

(呼び出されてその場に行っただけで、もちろん何もないですよ、その女性とは・・)

その時の武帝さんは、政務に忙殺されており、匈奴討伐の問題で忙しく、

そのような女性スキャンダルを後回し、というか、いまいましい・煩わしい問題として政務に忙殺されているうちに、刑が施行されてしまったようです・・



※先ほども言いましたが、

司馬遷さんは、古代中国・漢の宮廷で、太史令の地位にまで就き、武帝さんも、その才能を失うのをとても惜しんだほどの人物で、現代まで読み継がれるほどの歴史書を執筆・編纂したほどの方であったために、そのように周囲の妬み・やっかみを相当買ってしまったようです。




私は、神仏のお力でいろいろなモノを視せていただきますが、

一番恐ろしくて、奇怪・キショイ(気持ち悪い)ものは、

人間の心だと思っています。。

(すべての人間がそうではないですが、ピュアな良い心の人もいれば、

そうでない人間もたくさんいるものです・・)




※そして、常々、ブログでも言っておりますが、

そのように、悪意により他人を陥れたり、危害を加えると、

やった本人が生きている時か、または亡くなってから、

同じ 裁決を受けることになるのです・・。


*真実が露呈し、また再び武帝さんから重用され出世と成功を約束され高級官僚・大歴史家として返り咲いた司馬遷さんが、自分を陥れた悪人官僚達に同じ刑を執行し復讐を遂げたのは言うまでもありません・・

(だから、他人をいじめたり、動物虐待などしている人は気をつけましょう・・)


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霊信似顔絵が一致したエピソード・・

minoan_mini.png


この冬 (2020年11月~12月) 、わたしの身辺に起こった心霊エピソードです。

霊信と似顔絵に関するエピソードですので、このサイトの歴史似顔絵にご興味おありの方は、

今回の記事も関連しますので、ぜひ併せてお読みください・・


この秋に、主人の友人であるZさん(すいません、なるべく個人を特定しずらいよう仮称Zさん、としておきます)という男性がお亡くなりになったのですが、

Zさんは、主人と昔からの友人で仲がよかったのですが、

うちの主人があまりマメな性格でないため、ずっと長年ご無沙汰にしており、

Zさんが亡くなる直前になって、主人とZさんの共通の知人であるZさんの奥様が、

疎遠であっても二人が仲が良いのを知っていて、

「もうダメかもしれないし、最後に会うなら今が一番いいから・・」と連絡をくださって、

主人は面会に行ったりしていたようでしたが、冬の前にZさんがお亡くなりになったんです・・


で、お亡くなりになった際に、奥さまのほうから、

「よかったら、ぜひ奥さん(←私のこと)もこちらの自宅に一緒に来て、お線香あげてやってください。」と。


私と主人はずいぶん年が離れており、主人とZさんとは学生時代からの友人のようですが、

主人が結婚した年が遅かったこと、お互い家庭生活などもあり、ずいぶん疎遠にしていたこともあり、

私自身はZさんには一度もお会いしたこともないんですが、

話だけではZさんのことを時々主人から聞いていたこともあって、

お会いしたことはまったくなくても親近感を少し持っておりました・・



それでね・・ ここから霊の世界の話に入るんですが、、


私自身が霊の世界の扉が開いている人間ですので、

Zさんがお亡くなりになってから、すぐZさんの霊さんと(亡くなって、初めて!)同調により、

面会できたのです・・☆!



(Zさんも、話では私のことも少し聞いていて、「いつか、みんなで飲みましょう・・!」と思っていたのが、亡くなって初めてわたしと面会が叶いました・・)


で、Zさんは、亡くなるに際して、重い病の末にお亡くなりになっており、体が思うように動かせない想念でずっと幽玄界あたり(つまりずっと下のほうにおられて)、

こちらのご神仏様のとりなしにより、上のほうに上げてもらって、一緒に話したり、

私のそばから主人を見下ろして、難クセをつけたり・・(・・つまり、ずっと疎遠にしていたことをなじり・・)

していました。


Zさんが亡くなって、日にちが経ち、ご自宅に伺って(わたしはご自宅に伺うのも初めてになります)お線香をあげに行く日が近づいたので、

Zさんが近くにいて霊通信していることもあり、

どうせならそばにいるZさんの似顔絵を描いて、奥さんに渡してあげよう。。

と思いついたんです・・



でね、

私は、

そばにいるZさんの霊の顔を元に似顔絵を描き始めました・・

(私):「(主人に向かって)Zさんて、メガネをかけていた・・?」

(主人):「・・・・・・・(ノーコメント)」

うちの主人は、無頼派で自分の証明写真とかはもちろん持っていますが、

写真というものをあまり持っておりません。

(別に不細工とかそういうのではありません、男前のほうだと思います・・)

もちろん、Zさんの写真なんてのも全く持ってません・・。

(・・というか、私が見たことがないだけなのか、主人の実家にでもあるのかもしれませんが・・)

それに、私の主人は、秘密主義なところがあり、

だから、私がさっき、

「Zさんて、メガネをかけていた・・?」と聞いても、ノーコメント、無視(´Д`;) よけいな事は言わない・・

(注:ちなみに、うちの主人というヒトは、理系で霊の存在やその世界を全く信じないタイプで、

主人のお母さんが亡くなって霊体になった際の様子を私が話しても、、

「いい加減なこと言ってんじゃねぇ・・!」

とにかく物理的に根拠がないことは全く信じない・・

そういうタイプです・・)



でね、、(そういうヒトだから、主人に隠れてナイショで)似顔絵を描き進めていく時に「えっ???(゚∀゚;)」と

面白いことに気付いたの。。


Zさんに霊の世界で初めてお会いするまで、

60代後半の男性の姿、、として、

(「イメージ」ですよ、、)

どちらかというと、「薄顔(つまり年をとってあまり印象のなくなった「しょうゆ顔」)」で、「髪は短髪で。。」なんて、勝手に ”想像” していたんですが・・


・・

なんかね、そばにいるZさんが、(私が、「似顔絵を描いて、お線香をあげる日に奥さんに渡しますね。」と言ったら)、顔を近付けてきて・・


その姿がね・・


「えっ こんなんアリ・・???」っていう感じの髪型だったワケ・・



YouichiSugawara.png

菅原洋一さんて、知っとる・・?



(私):「えぇぇっ?? 今どき そんな髪型アリ・・???」

(※ちょぉぉっとぉ 今どき かなり 珍しいですよね・・汗; モチロン顔立ちは全然違いますケド・・ それにしても、今の時代ではかなり珍しいカミガタ・・) 




・・それでね・・


「①メガネ + ②菅原洋一さんの髪型(笑)+ ③ギョロ目」


で、出来上がった似顔絵は・・


Zsan.png

Zさん

(※ここで、目を描き入れてしまうと、個人特定につながってしまいますので、あえて目は描き入れないでおきます)



Zさんは、大きなギョロ目をしているのですが、

Zさんが近くにいた時、またたぶん本人もより目を見開いていたため、元々大きな目がより大きく強調されていたせいか、私が ”勝手に” ギョロ目=二重まぶた、と思い込んで、二重の大きな目を描き入れてご自宅に持参したんですが、

まずご自宅に招き入れられて、わたしが突進した先は、ただ一点。Zさんの顔写真・・。


実はですね、

霊のヴィジョンで視たZさんの髪型が、イマドキかなり珍しい髪型だったため、

「ひょっとしたら、霊信が違ってるんでは・・?!」

とかなり心配だったんです・・ だって、あんな(なんて言ったら失礼だけど)珍しい髪型・・



でね、「あっ」と思ったのは、


ギョロ目が失敗した・・↓


お写真で実際に見たZさんは、ギョロ目はギョロ目なんですが、これまたかなり珍しい

一重ギョロ目・・

(Zさんは、一重でこれだけ大きなギョロ目、、ということは、かなり目のきれいな男前のお顔立ちだったんですが、わたしがギョロ目=二重の大きな目、、勝手に思い込んで、目だけ失敗しました。いやー、わたしも50年近く生きてますが、一重でこれほど大きな目をしたヒトは見たことがありません・・汗;  かなり珍しいケース・・)



あとはね、メガネだとか髪型だとかのほかの特徴はピッタリ一致・・

(一番びっくりしたのは、うちの主人ではないですかね。。

それ以来は、私が霊世界の話をしても、聞くようになりましたね。。)



いやー、今回、私の思い込みで、目の二重線のところだけ失敗しましたが、

そもそも考えてみると、最後に天界・神界のところで添削確認をしてもらえばよかったのです・・!


・・というのは、私が毎回作成する歴史上の人物の似顔絵は、

最期に必ず、天界・神界の境界で顔を確認してもらい、90点以上の精度になるまで手入れをし、お墨付き(最終確認)をもらってからアップしているのですが、

今回、このZさんの時は、それもやらなかった・・↓


今回のZさんの件は、大変よい経験になりました・・




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始皇帝 (秦王・嬴政:エイセイ) を霊視



「始皇帝(秦王・嬴政:エイセイ)」といえば、古代中国の戦国時代(秦) の時代に一大国家を築いた不世出の英傑であり、周辺異民族の侵入を防ぐ万里の長城を築いたことでも有名ですし、

古くから、その生涯は、小説や映画などに取り上げられてきました。

漫画・アニメの『キングダム』の主人公として、また近年では、実写版の映画『キングダム』も作られ、マンガ作品自体も非常に面白く描かれてますよね。

映画『キングダム』は、私も、同居の大家族スピさん達と劇場に見に行きましたよ。




判断力のある不世出の英傑。わりと当時にあっては大柄なほう(170cm ぐらい。この時代に170cmあるのは大柄な方だと思います)。

パラレルの天界・神界からの伝達では ”男前のほう” とのこと・・。

現実的で目的遂行型の人物だったようです。



Ei_Sei.png

始皇帝 (嬴政:エイセイ)


見開いた眼が印象的で、額がひじょうに広いです。

鼻が横から見ると鷲(わし)鼻なんですが、正面向きで描いているため、その鷲(わし)鼻の特徴をうまく出せませんでした。

(今回いただいたビジョンは、アゴが細いので、若い頃の始皇帝のビジョンのようです・・)





天界・神界の霊信による始皇帝の実人生の霊視は、とてつもなく強烈であまりに激しく、またとてつもなく悲しいものでした。


至高の大帝国を築き、栄華を築いた人生を「とてつもなく強烈であまりに激しく」と言うのは分かるんですが、「とてつもなく悲しい」人生とは、いったいどういうことなんでしょうか・・?


実は、始皇帝という人は、霊的世界でいうタブー ”大罪” を2つ犯した人だったんですね。


霊信では、始皇帝は、死後にその真実(犯したタブーの1つ)を知ることになります。


現在の始皇帝の魂は、こちらの世界(心霊世界)のほうで、愚行を購(あがな)ってらっしゃいます。


だからね、歴史の史実として知られる人生とは別に、今回霊信で伝え聞いた内容があまりに悲しすぎて、それを書くことはここではとても憚られます。

だからね、今回は、人物の実人生の詳細を書くのはやめます。

本人含め、当事者さん達の御霊もそれを全く望んでおりませんので・・。

それだけ、悲しいものなのです、その内容が・・ 

悲劇的すぎる ・・。





始皇帝・エイセイの父は呂不韋ではないか、というのが、大方の見方・歴史観として有力とされていますけれど、霊信ではこれも全く違っていて、かというと、先王の荘襄王(ソウジョウオウ)かというとそれも違う・・

(始皇帝と荘襄王(ソウジョウオウ)は、霊視によるモンタージュでは顔立ちはとても似ていますが、霊信によれば、父親は別の人物でした。)




霊信の内容があまりに悲劇的ですので、

霊信的歴史内容を詳しくお知りになりたかった方にとっては今回は「つまらない」と思われるかもしれませんが、

当事者にあたる人達の心情をかんがみると、とてもではないですが、

今回わたしは詳細内容を書くことが人間としてどうしてもはばかられます。

それだけ、その霊信内容がこれ以上ないほどキョーレツであった、ということです。

ですから、一般に伝わる歴史的 ”史実” というものは、その中に内包する知られていない内容、もしくは通説とは全く違う内容、というものが、往往としてあるのではないか、とも思うのです。

ですので、今回は、始皇帝の人物霊視記事はやめまして、

始皇帝の周辺人物も併せて簡単に霊信で記しておき、

今回は、「あえて」、ミステリーのままにしておきますので、

みなさんご自由に、想像をめぐらしてみてください・・。





呂不韋・・・商人から荘襄王(ソウジョウオウ) の丞相(最上級官僚、、といったところでしょうか・・) まで登り詰めた非常にやり手な人物。

性格は、始皇帝エイセイと非常に似ています (現実的で目的遂行型)。

霊視によるビジョンでは、外見は柔和でスマートな容姿をしています。



趙姫さん・・・(う~んと・・遊女さんだから男性を満足させるのがとてもうまく、派手であか抜けていて、とぉ~っても色気匂い立つ大人の女性、とのこと(*^_^*;;)(荘襄王(ソウジョウオウ)の御霊の言によれば)

※霊視によるお顔立ちは、美人というよりは、普通寄りでした。

私からすると、趙姫さんという人を一言でいうなら・・「性愛の人。本当に愛した人の子どもだけ生みたい・・、そういう非常に女性らしいタイプ。」




嫪毐(ロウアイ) ・・・ 美丈夫・肉体派。やさしい武人系顔。

なんだかね、すごく下品なんですけど、・・そのね、ロウアイというのは、パラレルの伝達によれば、なんというのかな・・、当時、女性を早く昇天させるエッチな賭け事(男の遊び)で盛り上がっていて有名なヒト(名を馳せていた ※ヘンなコトでですが 汗;笑;)だったというんですよね・・・゚゚・。。




荘襄王(ソウジョウオウ) ・・・  荘襄王(ソウジョウオウ)は、35歳と、わりと早くお亡くなりになっていて、在位3年と短く、その後の人生は一般に知られていないようなんですけど、パラレルの伝えるところによれば、荘襄王(ソウジョウオウ)は自殺をしたのではないかとのこと、というのはですね、御霊がね、自殺者の霊が行く境界にいるからなんですけど・・。




以上が、始皇帝エイセイさんの周辺の主な人物達です。

始皇帝を含めた関連人物達の一般に知られる歴史的エピソードは、とても有名で、

(以下、私的にざっとまとめた一般的史実ですが・・↓)

*「始皇帝の先々王である秦国の孝文王(安国君)の正室・華陽夫人との間に子がなく、継室断絶の悩みに付け込んだ大商人・呂不韋の働きかけにより、趙国へ人質に出されていた孝文王(安国君)の側室腹の荘襄王(ソウジョウオウ)を養子にするよう働きかけ、呂不韋は、荘襄王(ソウジョウオウ)を秦国の次代の皇帝に据えることに成功した(呂不韋は、先回りして、趙国へ人質に出されていた不遇時代の荘襄王(ソウジョウオウ)と知り合いになっていた)。もちろん、そこに呂不韋の「計算」があったことは間違いないでしょう・・(有名なコトバに、奇貨居くべし というのがあって、これは、「これは珍しい価値を生み出す人物だ。我々が投資すべきだ奇貨居くべし」の意)。

で、呂不韋は、荘襄王(ソウジョウオウ)が気に入った自分の愛人(趙姫さん)を与え、丞相という地位を得、荘襄王(ソウジョウオウ)の死後、始皇帝の母が王太后となったが、以前自分の食客であった女性のお相手に長けた嫪毐(ロウアイ) という男性を宦官として趙姫のそばにはべらせ、骨抜きにし、呂不韋自身が政治の実権を握った。後に、嫪毐(ロウアイ)は、クーデターを起こしたが、失脚し、車裂きの刑に処され、嬴政エイセイが始皇帝として即位した。 」



みなさんも、古代中国・秦王、不世出の英傑に思いを馳せてみてくださいね。



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則天武后(武則天)を霊視


天界・神界の言では、

則天武后(武則天)というヒトは、一言でいうと・・・



「かなり垢抜けておしゃれでやっかみ深く、かなり頭がキレる人・・・」


とのこと。




天界・神界からのヴィジョンでは・・・


Bu_NyanNyan.png


則天武后(武則天)



(どちらかというと・・ しっかり者顔の大昔の日本人女性顔・・?)



「見た目麗しいタイプというよりも、派手でおしゃれで頭脳派の、残忍でわがままな女性。」とのこと。



かなりたくましくギッチリとお化粧をするような人らしいんだけど、伝達によれば、男性の気をひくのはほどほどにしておいて、どちらかというと理知的な人なんだ、ということらしいのですよね・・。


かなりね、頭で考えるタイプ・・・。


かなり残忍な粛清や拷問刑をし、しかも、それは政治的な正当な理由によるものではなく、私怨(個人的な恨みつらみ)から行った、というのですね・・。

(だから、あまり良く評されていないのかもしれません)



ヴィジョンでは石の中に閉じ込められた則天武后が視えるんですよね・・。

??・・

(どういうことかというと、”石のフタ” をしてしまう刑罰・・ というのをだいぶやったようなんだとか・・??? 圧死・つぶしちゃう・・ってことですかね・・)


※なんで、「石の中に閉じ込められた則天武后が視える」のかというと、自分の犯した罪業を亡くなってから贖っている、ということなんですが・・


拷問刑については、他にもやっているんですが、具体的内容は恐ろしいので割愛しますが・・




「あまり色恋だとかそういうのではなく、残忍でわがままで暴虐な女性・・」とのこと。



あとは、いい加減なことは許さず、かなり頭が切れて残忍でハードでタフな女人・・


二代の皇帝(太宗・高宗)にわたって妃として仕えたなんて、

そのような頭が切れて冷たいような女性に男性が惚れるものかな~(´・ω・)??とわたしがギモンに思っていたら・・・、



(天界・神界):「男を支配できる女性・・。  すべからく、男の気持ちを掌握しコントロールする術(スベ)を心得た女性・・・(怖!)




中国ドラマ『武則天』では、絶世の美女ファン・ビンビンさんが演じてらっしゃいましたが、


霊能伝達によれば、ドラマ中のあのようなやさしくて頭の良いタイプ、というよりは、かなり冷たい感じの頭のキレるタイプ、という伝達でした・・・!



則天武后、といえば、

「自分の女児を殺害して、その罪を他の妃になすりつけ、排除した・・!」、というエピソードが有名ですが、

霊信によれば・・・

「それは、則天武后が直接女児を殺したわけではなくて、侍女が誤ってその子を落としてしまって頭を打ち付けてしまって亡くなってしまった(侍女の過失)・・・、それで、その機をとらえて邪魔な妃を陥れた・・」というのです・・・。

(もちろんそんなことどの歴史書にも出てないんでしょうが・・ あくまで霊能伝達ですけどね・・)


(則天武后ご本人いわく、「自分が子を殺したと、周囲が勝手に思い込んだ・・」というのですよね・・。)



確かに、どんなに残忍でも、自分の子を殺めるのはおかしいですし、しかも皇帝との子供ですしね・・。


確かに、それは本当なのかもしれません・・。



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プロフィール

前世占い師エティース

Author:前世占い師エティース
(エティースと前世の子供Wes&Rao)


いただいている霊的お役目は、審神者(サニワ)です。
審神者だけに霊体の見分けを得意としております。
こちらの歴史霊視ブログでは、
金兎占」による、歴史上の人物の霊視ヴィジョンとその生涯を、
神界・天界のご神仏のお力をお借りして伝達してまいります。
(なぜ金兎というかは、こちら をごらんください。わたしの直前の転生来歴によります。)
わたしと前世・心霊世界の扉が開いたきっかけ、同調してくださる境界の神様達や、同居のスピさん(前世霊・縁の深い大家族霊)達との交流については、下記のメインブログをご覧ください↓





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