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『オスマン帝国外伝』オスマントルコのスレイマン大帝・ヒュッレム(ヒュレム)妃を霊視

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オスマン・トルコ帝国の皇后・ヒュッレム妃(ロクサレナさん)は、
”奴隷皇后”_________と題されるように、
タタール人に捕えられ、奴隷としてオスマン・トルコに売られ、皇帝に献上されたウクライナ女性。
私も数年前に、はじめて、”奴隷皇后”というキャッチコピーに衝撃を受け、
興味を持って、このシリーズを見始めたのがきっかけだったのですが、
(それまでは、そのような来歴の皇后がいた、というのを全く知りませんでした・・ 汗;)
この ”奴隷皇后”、______ というネーミングに、私も同居のスピさん達も皆  としながら、ドラマを楽しみました______。


ちょ~っっとね、いろんなところで取り上げられているヒュッレム(ヒュレム)さん像とこちらの霊信によるイメージがだいぶ違うので、
比較しながら進んでみましょう・・ では・・!↓



参考①【歴史観によって大方の人が想像しているヒュッレム(ヒュレム)像】:
タタール人により、征服奴隷として捕われ、皇帝のハレム(後宮)に献上された。スレイマン大帝の寵姫となり、立て続けに皇子・皇女(6人 *うち2人は早産だったり、夭折。)を成し、

先の寵姫ギュルバハル(マヒデブラン)を押さえ、

正式なオスマン帝国皇后となり、権勢を奮った。


参考②【篠原千絵さんのマンガ『夢の雫、黄金の鳥籠』で捉えられているヒュッレム(ヒュレム)像】:
篠原千絵さんが捉えておられるヒュッレムのパーソナリティは、
「機知に富んだ、頭の良い女性」像です。





それでは、霊視に入りましょう・・。↓


典型的な東欧ロシア人的容姿特徴を備えた女性。

下半身が太く、たくさん子を成せるじょうぶな体型。

あ、案外ね・・ ”庶民的”な顔立ち・・



※ヒュッレム(ヒュレム)妃については、肖像画がいくつか残されており、Hurrem portrait

(肖像画は、描く作者により、またその時の被写体の状態(体重増減や老化・・)により、
顔のイメージが違って見えますので、
当方でも霊視で描き起こしてみることにしました。)






Roxallena1
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるヒュッレム(ヒュレム)妃




ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
目が「ひとえふたえ(象嵌=※一重に近いぐらい二重線の幅が大きくてはっきりしない二重)」
で、私の霊視画で二重線をだいぶ上のほうに書いたらどういうわけか似てなくなっちゃうので、
顔を似させるため、二重線は近く描きましたがご容赦ください。
で、アラブ風の化粧を施したのがずっと下の画像の顔になります。
天界・神界のご神仏、精霊さま達から伝達された霊視によれば、このような顔立ち、とのことです。

どちらかというと、
外国人でも、いわゆる ”地味顔”になるのだと思います・・。
(’クラシカル’ な風貌・・)


男の人を楽しい気分にさせる気取らない、

牧歌的で地味なキャピキャピ感ヽ(^◇^)/

のある女性・・・



(うまく伝わったかしら・・)
男のヒトがいっしょにお酒を飲んだら楽しいかしら・・??
男の人のおだて上手、明るくて気取らない楽しい会話、、の人

→ つまり、男性が ”息抜き ” するのに、ちょうど良い女性のタイプなんだ。。
(・・→・・、ていうと、思い当たる現代の女性の職業があるはず・・、、)



Roxallena3
スレイマン大帝と楽しくお話する時のヒュッレム(ヒュレム)さん・・


(※また、霊信では、
オスマン帝国のハレムでは、「女性は慎ましくあるべし」、
という風潮があったため、外国人であることもあったのでしょうが
ヒュッレム(ヒュレム)さんのようなキャピキャピ・キャラ☆☆・・というのは、
ちょっと異例だったようです・・汗;
ましてや、皇帝に対して、、ですよ・・?
でも、一人の男性にとっては、そういう女性がまた新鮮でかわいらしく、心を捉えられた、のかもしれません・・)


Roxallena
アラブ風のドギツイ化粧を施した顔





美人、といえば、
第一寵姫であったギュルバハル(マヒデブラン)さんのほうが、
正統派美人だわね・・
(ギュルバハル=※「春の薔薇」の意)


Mahidevran sultan


まさしく、
花のある正統派美人。
(ドラマ「オスマン帝国外伝」を見る傍ら、同居のスピさん(霊さん)達と何冊か本を読んだのですが、
その中に、’「外国の使節曰く・・、ヒュッレム妃は美人ではなかった・・」’と書かれていた箇所がありました。
ヒュッレム(ヒュレム)妃は、人によっては、そのようにも見える容姿・顔立ち、だったのかもしれません。)



この花のような美人にヒュッレム(ヒュレム)妃が結果的に勝った理由は・・

スレイマン大帝の、夜の 性的嗜好=「あるシチュエーション(ややアラブ的)にヒュッレム(ヒュレム)妃が合致したから・・
(内容は、スレイマン大帝が ”「無礼な・・!」”と大変お怒りになりますので、控えます(/ω\)
これ以上は書けません・・)




ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
「魔性の女」とか「策謀家」と歴史的に評される事もありますが・・

天界の神体の霊信によれば、
「話しやすい明るい気さくな人。。 かと思えば、気配りのできる気のつく女性でもあり、しっかりしたたかに賢い面もあり・・、ちょっとひと言で言い得ないいろんな面を持った人柄。。」
要は、いろんな面を持った多面的な人柄。。、ハレムのように ”女の争い”が渦巻いていそうな世界にあっても、あんまりね、いわゆる「邪心」っていうのがない女性だったようです。
スレイマン大帝は、どちらかいうと国母として、賢い女性、、が理想だったのだけど・・
・・
どうも、この明るいウクライナ女性にやられちゃったみたい・・
心臓ドキューーン・・!
皇帝の自然な愛情により、奴隷の身分から誰も成し得ない地位まで押し上げてもらったの。。

王宮で奉られ、皆にかしずかれ、誰も成し得ないシンデレラ・ストーリーを成し得たすごい女性・・
とのこと。
だからといって、「増上慢 (//*慢心してえばったり、ツンツンしたりだとか、我が物顔になること。)」になる

でもなく、
ふんわりとやわらかな春の陽射しのようなあたたかい人柄であったこと、
そういう善良な性格が福徳を招いたのだ、とパラレル・ワールドのご神仏は評価しておられます。

(私): 「私の個人的な感想では、まだ多感な少女の年代に言葉が全く分からない異国に連れ去られ、さぞご苦労したのではないでしょうか・・?」

(天界のご神体):  「それがね、案外ね・・、 ”生真面目”、、っていうか、そういうね、努力家な面も多分に持っていて、あんまりね、後宮のなじめない生活・風習でも、よくそれに従って、イブラヒムのようなインテリ層にもかわいがられて生きた女性。」

(私): 「柔軟な女性・・ ということですよね。」

(天界のご神体): 「はったりかまさずね、負けん気あるタイプ(負けず嫌い)なんだけど、自分はガタイが大きく(大柄)・目が斜視気味で強面(コワモテ)に見られちゃうから、
そういうの ’隠す' ため、’明るく穏やかなにこやかな笑い声で

  ヽカムフラージュ(*^ o ^*)・・」


※だからね、ヒュッレム(ヒュレム)妃は、自分でも、美人だとかかわいいなんて全然思ってもいなくて、ガタイがデッカくて、見た目ぱっとしない、かわいくないタイプと自分でも思っていたみたいなんです・・。




(私): 「 ’世渡り上手・・’!」

(天界のご神体): 「全く その通り。・・(汗;)」

(天界のご神体): 「それでね、【歌】を歌うことで、自分の存在を示したの・・。その明るいやさしい歌声の中に、さらに遠い自分の生まれ故郷から侵略者にかどわかされて連れてこられた自分の苦境・境遇を詠み込んだ歌を・・!
その悲しい歌詩の内容が、これから一緒に人生を歩んでいく伴侶、ここから連れ出して欲しい人、つまりスレイマン大帝の足を誘ったのかもしれない・・。」


※遠い異国に、侵略者に拉致されて連れてこられて、ハレムに入れられて、
ハレムの豪奢に着飾ったきらびやかな御人・側室達を見て、
「なんとか、ここから這い上がってやるわ。。」
みたいな、心の底にそういう野心、、まではいかないけど、
やっぱりね、一応、そういう気概、プチ野心、みたいなものは確かに持ってはいたようですけど、
なんかさ、何か悪巧みを考えて他人を陥れて蹴散らして・・、とかそういうタイプでは全然なくてね、
かといって何にも考えていないタイプでもないから、
何か策を講じるにも明るくプチかわゆくやるタイプ・・
つまり、そういうのにも邪心がないタイプ・・


※やっぱりね、けっこう、深く霊視してもらうと、やっぱり人ってすさまじい・・ (*_*;

※私個人的には、ヒュッレム(ヒュレム)さんて、柔軟ながらもすごく複雑でつかみどころがないタイプ・・。
やっぱり「◯o◯” 譲 向いてるよ・・」って思ってしまう。。


※いろいろなんでしょうけど、ご神仏様達が評価しているのは、
やっぱり、悲惨な境遇にもめげず、努力して懸命に生きたからだ、ということです。



なるほど・・。






スレイマン大帝については、ヒュッレム(ヒュレム)妃同様、肖像画が多数残されていますが、
なぜか横顔ばかりの肖像画が多いので、

Sleiman portrait

一応、
当方(天界のご神仏さまから)の霊視による画像を載せておきます・・



sleiman
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるスレイマン大帝




男前ですよね・・。
整ったハンサムなお顔立ちだと思います。


スレイマン1世の治世に、周辺の領土拡大の度重なる遠征を成功させ、国家統治の最盛期を迎えた。
”壮麗王”と称されるとおり、
霊信によれば、
度重なる対外遠征費、豪奢な建造物、自身の豪奢な着衣・後宮の豪華な運営費、などに国家財源が投入された、とのこと。


さらに 霊信によれば・・

在位期間中、東欧・中央(ハンガリー、ウィーン)への長期にわたる度重なる海外軍事遠征、
領土拡張と海上交易路の掌握、、への軍事費用等々・・、
豪奢な宮廷運営費、壮麗な建造物の建設・・
それらにより国家財産を疲弊・窮乏させ、
体制への不満からトルコ周辺部族との対立も招き、
イェニチェリ(軍)の不満を招き、内乱が勃発した・・。
手厳しい言い方をすれば、
このように国家財源を過度の贅沢により消費するのは愚の骨頂・・。
それが原因で、
新しい反体制派(イェニチェリ)が台頭し、
反乱が勃発したが・・
それは、ムスタファ(マヒデブランの息子)を中心とした反対勢力であり、
そちらのムスタファ派のほうが支持者が多くまともな考え方の勢力、であったこと。
つまり、ムスタファ派が政権を執ったほうがまともな国政になったであろう、ということで、
一般的に知られる史実と一致しているようです・・。
多くの歴史観で、
ヒュッレム(ヒュレム)妃が策謀をめぐらし、ムスタファ皇子を追い込んだ・・、みたいに言われることもあるようですが、
霊信によれば、そうではないとのこと。
あんまりね、あこぎな女性ではなかった、とのことです。


ドラマ『オスマン帝国外伝』の物語に照らし合わせた時代背景・キャスト・それぞれの人生などを書くと、
それこそ膨大な記事になってしまうので、
今回は、ここまでで、ヒュッレム(ヒュレム)さんのパーソナリティ止まり、で簡単にしておきましょう。。



ヒュッレム(ヒュレム)妃は、オスマン帝国の従来の伝統であるハレムの一夫多妻制を変え、皇帝と法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一妻の関係を築いた女性で、
どんなパーソナリティの女性なのか、私もですが、
みなさんも、気になったかもしれませんね。



 また、お正月にふさわしい豪華なトピックですね。


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トンイ(淑嬪崔氏)を霊視


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今日は、韓国の歴史で聖君(善政を敷いた王様)として有名な英祖の生母・淑嬪崔氏を霊視します。
朝鮮王朝・粛宗の妃嬪ですかね。
(しばらくぶりの投稿で、お題は何にしようかな~、と悩んでましたら、
天界・神界のほうで、ご指名ありましたので、淑嬪崔氏にしました。)


淑嬪崔氏については、韓国歴史ドラマで、いくつか作品化されているようですが、
最近の作品ですと、イ・ビョンフン監督の『トンイ』がありますが、
(*イ・ビョンフン監督作品は、韓流歴史ドラマで唯一、暴虐な拷問シーンなど極力ない
子供でも安心して見れる、日本でいうならば、NHK的要素を持った
 ”安全韓国歴史ドラマ”なので、同居の子供スピさん&動植物スピさん達と
非常に安心して観れますv。)


イ・ビョンフン監督作品『トンイ』で描かれる淑嬪崔氏は、

賢く、すばしこく立ち回れる、気取りがない性格、、 の女性像
として描かれていますよね。

韓国ドラマでは、女優のハン・ヒョジュさんが、トンイを爽やかに好演してらっしゃいましたが、
実際の淑嬪崔氏は、どんな女性だったのでしょうか・・?

霊信により、伝えていただきましょう・・。



※淑嬪崔氏に関する ”一般的史実” はこちらでどうぞ..↓↓






【天界による霊視と霊信・・】



CheSukupin


私どもの霊視による淑嬪崔氏




色黒で目が小さく、小さい目のクリっとした目。
顔のパーツがどれも小さく、鼻が丸い、愛嬌のある感じ・・。
美人ではない・・。

老人になった時のヴィジョンも併せて見せていただきましたが、
この顔のまま髪が白くなった状態で、小さいクリッとした愛嬌のある目は変わらない・・
そのような感じ・・



淑嬪崔氏に関する有名なエピソードとして、「水汲み」女官・・ と言われて、
揶揄されたり馬鹿にされた・・
・・・というエピソードがありますが、
霊信によれば、
宮廷の雑事を担当する女官・・
なのだそうです。



でね、なぜ粛宗の妃嬪、という立場になれたのか・・


霊信によれば・・

(天界の神体): 「粛宗が酒に酔ってふらついていた時、たまたま部屋の雑事をしていた淑嬪崔氏を後ろから眺めて、まめまめしく立ち働く腰のあたりにむらむらっときてしまった・・」

・・のだとか・・

(※注:霊視によれば、”色っぽい”腰つき、だとかそういう感じではなく、身分の低い女官なので、白衣のチマと普通並みの腰体型。 なにぶん、酔っている時であったので、タイプだとかそんなではなく、” なんとなく・・ " そんな感じになったようなのです。)


(=※要は、” ラッキー・ガール ” のような感じ・・?=)





(天界の神体): 「淑嬪崔氏は、ひと言でいうと・・・・ 


 根性悪い 女性”  ・・・。」
     
(え・・? Σ(゚Д゚;)




粛宗時代の同じく側室である、朝鮮史上、悪女として名高い張妃嬪(チャン・ヒビン)もね、
これもまた確かに悪い女性なんだけれども、
最終的に あること をして、勝ったんですね、張妃嬪(チャン・ヒビン)に淑嬪崔氏のほうが・・



そ・れ・は・・


粛宗の正妃(正妻の王妃)は、仁顕王后閔氏であり、
当時の朝鮮王宮では、西人派と南人派の政治の派閥闘争が展開されていて、仁顕王后閔氏側についていた西人派が政権を握っていた。
仁顕王后は王妃に冊封され、6年を経ても子供に恵まれなかったため(不妊)、
対抗する荘烈大王大妃(姑)側の南人派は康熙25年(1686年)に「美貌に秀でた」中人(チュンイン/平民)出身の張氏(後の張妃嬪=チャン・ヒビン)を再度、後宮に送りこみ、承恩尚宮(スンウンサングン、正五品に相当)とした。 張氏は1686年12月10日に「淑媛」(スグォン、従四品に相当)に立てられ、さらに1688年に「昭儀」(ソイ、正二品に相当)へと昇進し、同年10月27日には王子李昀(後の景宗)を生み、康熙28年(1689年)1月15日にはその功労によって「嬪」(ピン、正一品に相当。側室の最上位)に昇進し「禧嬪(ヒビン)」と号され、李昀は王世子に立てられた。さらに同年5月2日、仁顕王后は廃され(廃妃)、1690年10月22日に張氏が王妃に冊封された[己巳換局] )。
これにより、それまでの西人派の専横に終止符が打たれ、それに代わって張氏側の南人派が権力を握ることになった。
また、しばらくして、これに対抗して、西人派では金春澤を中心に仁顕王后の復位運動(「閔氏重定運動」)が展開され、南人派の権力がかつての西人派のように増長することを危惧した粛宗が、仁顕王后を妃に復位することで張氏を後ろ盾にする南人派を牽制しようと企んだことにより、康熙33年(1694年)4月12日には張氏は王妃から「嬪」に格下げされ仁顕王后が復位した[甲戌換局]。 康熙40年(1701年)に仁顕王后が病没すると、西人派は王妃の死は張氏が巫女を使って呪詛したためだと誣告した。その結果、1701年11月9日、張氏は粛宗から賜薬により処刑された。


↑上記、歴史上伝わっている史実の中で、
私が赤字で示した箇所を見てほしいんですけど、
張妃嬪(チャン・ヒビン)が側室から王妃になり、張妃嬪(チャン・ヒビン)と南人派側が実権を握り、
南人派の政治専横を恐れた粛宗が仁顕王后閔氏をまた再び王妃に復位させますよね、数年後に仁顕王后閔氏は病没するのですが、その際、「西人派は王妃の死は張氏が巫女を使って呪詛したためだと誣告した」とありますが、
以下(緑)は、どの史実にも残されていませんが、
霊信によれば、
西人派というよりは、
淑嬪崔氏、本人が呪詛の証拠ねつ造をして(呪術の人形を用意して)陥れた張本人である、

・・ということです。
(張妃嬪(チャン・ヒビン)はその罪状により賜薬により処刑されますが、
つまり、霊信によれば、
この件に関しては張妃嬪(チャン・ヒビン)は全くの無実で、
淑嬪崔氏により陥れられてしまった、 というわけ・・)

・・だぁからね、ご神仏が言うのに、

”根性が悪い” 、っって・・ ・゚゚・。



霊信によれば、
淑嬪崔氏は、
仁顕王后さん仕えになり、お世話になった経緯があって、
仁顕王后に恩義と忠義の気持ちを持っていたのね。。
もちろん、それだけではもちろんないでしょうけど、
世継ぎ争いや、
張妃嬪(チャン・ヒビン)に牽制される中で、
侮蔑的な言葉を吐かれる、、・・などがあったようです・・。





・・そして、
霊信によれば、淑嬪崔氏は、

「’孤独な’ 老後」・・。

(仮にも、王の妃嬪として華やかなシンデレラ・ストーリーを送った人なのに、
どういうことなんでしょう・・??)




今回、淑嬪崔氏を記事にするにあたり、
息子の英祖(延礽君)さんは、
自分には一人のやさしい母親だから、
腹立たしかったかもしれない。。
でもね、
英祖(延礽君)さんは、
朝鮮王朝史の中で、”聖君” と讃えられるほど善政を敷いた
有名な王様で、心正しき人だから、
母親の罪業を良心により冷静に評していて、
罪業を贖ってほしい・・ と思っているみたい。。



天界の神仏がおっしゃるには、
’ 淑嬪崔氏は、
生まれ(出自が良ければ)頭のよい派手な性格の人だったんだけれども、
生まれた身分が低いため、学をつける機会がなかった。。'
・・とのこと。
でも、やっぱり、偶然にしろ何にしろ、結果的に粛宗のお手付きになって、
国王の母にまで登りつめ、
そのDNAは、しっかり英祖(延礽君)さんに受け継がれたのではないか、と思います。



わたしは、いろんな韓国歴史ドラマや中国歴史ドラマを見てますけれど、
最終的に、息子が王位に就いた生母の妃、、というのがね、
(出自の正しい高貴な身分の女性は別にして・・)
かな~りね・・ かなーーーーりな奴なんではないか・・と思ってます。

(もちろん、全部が全部ではないですが・・ 当然、、・・)
(つ、つまりね、最終的な生き残りのためにかなりな悪どいことをやっているのがいるんではないかと・・)


まあね、単純なんですよ、・・
中国史や韓国史の後宮の女性の争い、って、、・・
「策謀」。。 っていうの?
わたしだって、そんなのやり方とかいくつも思い付くし、
やろうと思えば、勝てますよ、、v 。。 


け・ど・ね 、、・・


この世には、犯してはならない ’罪’ 、 ’(心の)善・悪と裁決’  というものがあり、
今世に生きている者はもとより、
心霊世界においてはさらに厳しく審判・裁決される、
裁かるるべきものなのだ、、ということ。
だから、英祖(延礽君)さんも正しき人だから、
今回わたしにこの記事の公開を赦してくださったのかもしれません。。




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ファン・ジニ(黄真伊)を霊視


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ファン・ジニ(黄真伊)さんは、李氏朝鮮時代の有名な妓生 (芸妓 ※芸を売って身を立てる、日本で言うと芸者さんのような職業の人)で、伝えられているところによれば、妓生といってもいろいろあって、ひどいのでは体を売って男性の相手をするようなのもいる中、大変教養と学と芸を持ち、他の妓生とは一線を画す ”風流人” として妓生でありながら独自の地位を築いた女性として大変有名です。



歴史上有名な人物は、彫像や絵画(肖像画)というものが残されていますよね、、

だいぶ前にファン・ジニさんの絵姿を検索した時にネット上に挙がっていたのが、下記の2枚の絵・・

これは、おそらく間違いなく李氏朝鮮時代に描かれたファン・ジニさんの肖像画で有名なものだと思うんです。

李氏朝鮮時代の山水画=つまりこのような線画スタイルだと思うのですよね。

で、絵の中に、「黄真伊」(ファン・ジニのこと)と名前が書かれていますしね。(この2枚は、当時に模写されたファン・ジニさんの絵姿に間違いない、と思うんです。)

ただし、線画スタイルの肖像画の難点は、単純な線だけで表現されているがために、

リアルさがない・・ そういう所だと思います。


黄真伊 (ファン・ジニ)_portrait1

↑こちらの絵のは、日本人的に描かれていますね



黄真伊 (ファン・ジニ)_portrait2

↑こちらの絵のは、どちらかいうと目がツリ目気味に書かれてますね。こういう目元がキッとしている方が”韓国人的”ですかね・・

*私共が霊視したは上記2枚でいうと、どちらかいうと、「どちらか」ですよ、下のこの絵のほうが近いですかね・・


(ファン・ジニさんの肖像画で検索すると、上記2枚が挙がってくるんですが、もしかしたらなんですが、もしかしたら、1枚目には「黄真伊」の名前が入ってないんで、妓生を描いたもので、ファン・ジニさんではないのかもしれません・・)


いずれにしろ・・


*筆による線画スタイルの難点は、リアルさがないため、

絵が似づらい・・という点が挙げられます。





でね、ご存じのように、この歴史ブログは、天界・神界からの人物の生涯霊視を聞いたり、似絵を作成したりと、けっこう疲れるということもあって、あまり更新できないのですが、

先にファン・ジニさんの霊信による似顔絵作成をしているうちに月日が経って、最近記事アップ日近くになって、もう一度、ファン・ジニさんの肖像画を検索すると、こんな肖像画が新たに加わっていた・・@@;!  しかも、顔がえらいリアル・・@@;;


黄真伊 (ファン・ジニ)_portrait3

いわゆる、男好き(=男が好む)ような顔の肖像画が画像検索に新たに加わった・・

【最近、ネット検索で、新たに加わった、ファン・ジニ(黄真伊)さんだという肖像画・・】



正直、焦りました、、

だって、こちらで霊視した顔とまったく感じが違う・・ (まるで別人・・)



※でね、もし、この最近加わった上記の美人画が本当に、朝鮮時代のその当時にファン・ジニさんをモデルに模写された1枚だとしたら、こちらの霊視が全く違っている、ってことになりますもんね。。(汗;)

(そしたら、私も腹をくくって、お詫びの一文と共に、この歴史ブログの筆を折らねばなりません・・)

*これに関連して、最近、霊信似顔絵に関しておもしろい一致霊体験をしましたので、次の記事『霊信似顔絵が一致したエピソード・・』も併せてお読みください




でね、新しく加わった上記の美人画なんですが、、

ものすごく ”リアル” ですよね。。 (絵画用語で、「写実的」というのかな・・)

この絵に関して調べてみたんですが、かなり大変でした・・(・・というのは、簡単には、この絵に関する情報を得られなかったということ・・)

私が ”一見” ですが、この美人画を見ると、なんとなくですが、中国とか北朝鮮あたりの、いわゆる男性が好む美人画のように見えたんですよね・・

で、私はハングルとか韓国語は全く分からないんですが、

この絵(画像)を大きく拡大すると、向かって右側に、おそらく、絵の作者・・?らしきハングル文字が見える・・

(「2005년」とあるから、2005年・・?という意味なんでしょうか・・?)


黄真伊 (ファン・ジニ)_portrait4




で、ちょっと今回、私がハングルが全くダメなんで、

有料サイトで、韓国人ネイティブで日本語ができて、教師職をしておられる真面目そうな女性を探して有料で(そのようなサイトがあります)、この絵に関して教えてもらいたいと依頼をしてみたんです・・。(モチロン、”前世占い師エティース” という私の素性は隠したまま、純粋に絵のことだけに関する質問をしたのでした・・)




・・そしたらね、、

その韓国人の女性教師さんの回答では・・

(韓国人女性教師): 「以下にご回答させていただきます。

まず、
①개성 명기 황진이
→ (開城・ケソン) (名妓) (黃眞伊・ファンジニ)
となり、ケソン地域の有名な妓生、ファンジニという意味

②2005년 김선화
(2005年)(キムソナ)

こちらですが、
琴の弦に隠れて文字が若干見づらく、もしかすると
김선희(キムソニ)の可能性もあります。


(既にご存知かと思いますが...念のため)、
絵の左側、ファンジニが書いている詩は
「청산은 내 뜻이요」という
青い山のように変わらない(私)の心と、緑水のように変わりゆく(あなた)の心を
うたった詩のタイトル部分、一小節目が書かれています。」


・・という回答で、、




つまりですね、、

この後からネット検索に加わったファン・ジニさんの美人画のほうは、

「2005年製。」、つまりまだごく最近描かれた絵画だということが分かったのでした・・!

(印鑑=落款も押されてますしね・・)

(つまり、後から検索に加わったほうの絵は、現代に描かれたファン・ジニの「空想画」だということが分かりました・・!)



(よかったです・・! このブログも続きます・・)


(・・と同時に、別の意味でヨカッタ・・ 

        だってこの絵の顔立ちは どう見ても ”理知的” には見えない んだもの・・)



_____________________________________________




黄真伊 (ファン・ジニ)

私共の霊視によるファン・ジニ(黄真伊)





天界・神界の伝達によれば・・

(パラレルの霊信): 「ファン・ジニさんは、高貴な身分の人に思いを寄せられたことがあって、自分もその人を(男性として)いいな、と思っていたんだけど、なぜか、反対の態度=つまり気のないフリ、をしてしまったのだ・・」

(パラレルの霊信): 「たぶん、とぉ~ってもね、身分の高い人だったために、自分の気持ちを隠してしまったのかもしれない・・。妓生の華やかな世界にいるけれども、妓生というものはとぉ~~~~っても身分が低く、引け目を感じてしまったのかもしれない。。」



霊視により伝達されたファン・ジニさん、すごい美人 だと思いません・・?

現代の韓国は整形大国、としても有名ですが、李氏朝鮮時代の韓国女性、、て、想像するに、

おそらく一重まぶたできりっとした地味顔女性が多かったのでは・・?と想像しているのですが・・

霊視によるファン・ジニさんは、奥二重できりっとしたはっきりした目元涼しい理知的な感じの、その時代の東洋人女性としてはかなりの超絶韓国美人、と言っても過言ではないかと思います。


(パラレル): 「嘘偽りなく、(琴を弾くヴィジョンと共に)花のような(容姿の)女性。」



そんな超絶韓国人的美人だったのに、身分に引け目を感じて、そんな風に思うものでしょうか・・


みなさんは、韓国ドラマの『推奴~チュノ~』を観たことがありますか・・?

主演のチャン・ヒョクさんの演技がすばらしかったですが、『推奴~チュノ~』だけでなく、韓国歴史ドラマに多く描かれるのが、奴婢(※奴隷=戦争などで征服された土地の民)などの下層身分にある人たち・・

ほんとにね、ひどい扱いをされて虐げられている様子でよく登場するんですよね。。


人間というものは、同じような立場・経験をしなければ、そのような気持ちというものは決して本当には理解できないものです・・


(韓国の歴史と身分制度については、また今度、ゆっくり別記事を設けてみたいと思っています。)


まあ、韓国の身分制度にも階層があって、ファン・ジニさんは、そんなにすごい下ではないんですが、

その区分けにより段階が違うと、かなり厳しく差別・区別されていたようなんですよね、、(´Д`↓)



もうちょっと、ファン・ジニさんの人となりを視てみましょうか。。


ドラマ『ファン・ジニ』で女優ハ・ジウォンさんが演じるファン・ジニの人物描写は、

天分の芸術性に加え、とても気が強く、気位が高く、生意気そうで、男を凋落させる美女、、という感じですよね・・


zhini_2.pngzhini_1.png

韓国ドラマ『ファン・ジニ』 主演のハ・ジウォンさんの妓生姿が美しすぎます☆

(上記のイメージだと、ハ・ジウォンさんはピッタリですよね・・)


一般のファン・ジニさんを知るヒトのイメージって、やっぱり上記のようなものと一致しているかと思うんですよね。。(私もそうでした・・ 以下のメッセージを聞くまでは・・)





パラレルの伝達によれば、

”真面目”  だっていうんです、ファン・ジニさん・・


そりゃ本当にそうかもしれません・・


だってさ、芸事(詩作・漢学・琴カヤグム・編曲・水墨画・・)を芸術的に極め、しかも身分制度厳しい李氏朝鮮時代、しかも身分が男性よりずっと低いとされていたであろう女子でありながら、これだけの芸事に通じ、本人そのものを芸術の域まで高めちゃってる、、って、


相当の努力家 ですよ、、間違いなく・・



それでね、すごくお美しいでしょ、だからさ、なんか恋愛遍歴豊富で、男をたぶらかしてそうな イメージ持たれがちなんですが、、



意外にも、

パラレルの伝達では、

(恋愛において) ”一途”・・  とのこと。



ご自身は、身分の違いだとかに引け目を感じていたようですが、


私からすると、

それだけの後世まで名をとどろかす芸術的才能と美貌があって、出自が完璧に良いよりは、かえって出自が若干低いぐらいのほうがより魅力がまして、魅惑的すぎます__________!!

(これで、もし例えば出自が両親とも特権階級の両班ヤンバンとかで完璧だと、不思議とドン臭く感じられるかも・・)



そして、さらなる伝達では、

ファン・ジニさんは、人の話や気持ちの理解に長けていた人・・ というのです。



(もちろん、それだけでなく、華やかな妓生女性の世界ですから、ピュアなだけでは生きてはいけません。もちろんその女性の世界で、やっかみやいじわるにあったり、自身も駆け引きをしたり・・ 人間の人生というものは、そんなに単純ではありません・・)



(だからね、男をたぶらかす、のではなく、男が「勝手にコロリ」となっちゃうのよ・・ そういうヒト、ファン・ジニさんて・・)




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『賢后 衛子夫』その①登場人物の実際を霊視

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こんにちは エティースです。

同居のスピさん達と以前いっしょに見ていた動画でよかったものの一つに、『賢后 衛子夫』 があります。


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衛子夫、というのは、それまで全く知らなかったのですが、

衛子夫(えいしふ)というのは、、前漢の皇帝・武帝の后で、低い出自(身分)から、皇帝の寵姫となり、皇后まで登り詰めた女性です。


霊視により、実際の衛子夫やその周辺人物たちが実際はどうだったのか、ヴィジョンにより、実際の容姿やパーソナリティーを視てみましょう・・・。



衛子夫 ・・・ 古代中国で、大変低い身分から皇帝の寵姫となり、皇后まで上り詰めた衛子夫______。
いったい実際はどんな女性だったのか、非常に興味ありますよね。

後漢の武帝の寵姫となり、皇后まで登り詰めた女性の容姿も含めて非常に気になるところです。

パラレル・ワールドによれば、非常にクセのある・・

ヴィジョンによる実際の容姿は ・・・、


「求心的なネコのような


これがですね・・

わたし的には、モンゴル女性特有のクッキリ系のの漢民族版・・ とでもいいましょうか・・

美人というよりは、かなり特徴のある求心的なクッキリ系のです。

頬骨のぷっくりした丸ですが、歌妓(※歌や舞を披露する) だったせいか、痩せ型の小さいです。



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ですので、ドラマ中では、なごみ顔のワン・ルオダムさんが演じてらっしゃいましたが、ヴィジョンによる霊視では、印象がまったく違います・・!

古代の美人の基準はどうか知りませんが、ヴィジョンでは、いわゆる ”美人” ではありません。
(パラレル・ワールドの伝達でも、やはり古代中国の美人の美人基準でも、どちらかいうと美人ではなかったようです。)

母親は非常に身分の低い婢(=奴隷、のことだと思います)の娘が、皇帝の寵愛を受け、皇后にまでなるなんて、尋常ではありません。

中国や韓国の歴史で、まれにそのような女性(低い身分から身を起こす)がおりますが、バカでは絶対になれませんので、そのような女性は、やはり、とても頭の良い女性だったはずです。

(容姿などだけで、時の皇帝の寵姫となって権勢を奮うタイプもおりますけどね・・)

パラレル・ワールドの霊視では、類まれなる才気ある女性、ということです。
計算づくの頭脳派、というよりも、才能あるタイプ、ということでしょう。


霊視ではなく、歴史的史実でも、武帝は、非常に才気・才能ある人材を好み、身分を問わず重用したそうです。
おそらく、武帝は、衛子夫の才能をとても高く評価し、そういった才能を含めて寵愛したに違いありません。



●衛青(えいせい)

私は、『賢后 衛子夫』の物語の最初のほうは、衛青役のシェン・タイさんの容姿が、ちょうど・・兵馬俑そっくり・・!と思って、ちょっと面白系の顔のように思えて、衛青という人物にあまり注目していなかったのですが、
物語が進むにつれ、衛青という人物が男性として非常に魅力ある人物に思えてならなくなってしまいました・・・!。

ヴィジョンによる実際の容姿は・・ いかめしい角ばった顔の、しっかりした顔立ちのがっちり系の大柄な武人。
(・・ですから、劇中で演じていたシェン・タイさんの青年のような容姿とは全く違います・・!
パラレル・ワールドによれば、当時の古代中国での美男子の基準は、ガッチリ系の男子だったんだそうな・・^^;)

やはり、古代中国の乱世で女性にモテる好男子の条件は、・・・ズバリ、ガッチリ系の強そうな男性・・!
なるほど・・!




●衛媼(えいおん)

姉は、皇后にまで登り詰め、弟は、軍の兵権を一手に収め大将軍にまで出世した、そのような子供を産んだ母親のパーソナリティーや教育もとても興味深いものがあります。

衛子夫・衛青の母親は、身分は、婢の女性で、被征服民=つまり、戦争捕虜などの子孫・犠牲者の奴隷なのでは・・? と思いましたが、パラレル・ワールドが伝えるところでは、非常に身分の低い下女 (婢=はしため) ということでした。
一介の婢の女性の記録など後世に残っているはずもありません。
皇族となった衛子夫でさえ、絵姿すら残っておりませんので・・。

そんな一般に知られることのない、パラレル・ワールドが伝えるところによる衛媼さんの実像は・・

飛び抜けて美しく、才能ある女性・・とのこと。

つまり、婢でありながら、飛び抜けて美しい才能ある女性・・

パラレル・ワールドからの伝達・ヴィジョンによれば、衛子夫の母親・衛媼(えいおん)という人は、低い身分ではありながらも、顔立ちの整った化粧を全くしなくても、きれいな女性、という感じですね。

化粧バッチリタイプの衛子夫とはまさに対照的・・!

(※実際に同調してくださった衛子夫さんの魂が伝えるところによると、

「化粧パフで、パタパタっ」というしぐさをしてくださいました・・驚^^;/)



パラレル・ワールドが伝えることろによれば、衛媼(えいおん)さんは、

とくに絵に秀でた才能があり、
もし世代と好機が合えば、武帝でさえも、その才を認めただろう、寵姫にもなれたであろう・・、というような女性だったようです。

衛氏一族の優秀さは、DNAの成せる技だったようで、
子供たちが揃いもそろってその時代でそれだけ出世したり、抜きん出ているということは、
おそらく情操教育(家庭での教え)もさぞかしすばらしいものであったことは、間違いないと思うのですよね。


劇中でしばしば歌われる、
「富むも楽し貧するも楽し
甘きも楽し苦きも楽し
苦き甘きも 安く楽しく
一家が睦み 心を強く」
これは、真実だったのでしょう・・!


衛媼さんのように、容姿も美しく才ある心も豊かな素晴らしい女性が身分制度と時代性に抑圧されていたのは、大変残念なことです。




●前漢という時代背景と妖術(霊感)?

劇中でも取り上げられているのですが、この物語の一つのキーワードである 「占い・妖術」について触れてみましょう。

武帝自身も、そのような不思議なモノに大変興味を持っていたようです。

私のような心霊世界の同調者(※私の場合は審神者<さにわ>)というのは、人類始まって以来、古くから世界各地におり、その不思議な心霊世界のメッセージ伝達により、それは、霊感占い師であったり、時の権力者のアドバイザーのような位置付けで存在していたのだと思います。



このドラマの主人公・衛子夫さんは、武帝の寵愛が他の後続の妃に移るにつれ、衛子夫さんを排除しようとする勢力(江充)により「巫蠱の禍(※皇帝に呪術をかけた嫌疑)」(wiki・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E8%A0%B1%E3%81%AE%E7%A6%8D)の関係により、自殺を強いられ亡くなる、という悲惨な亡くなり方をしています。

武帝自身、そのような心霊的な不思議な力や神的能力に非常に興味があったようで、このドラマ中にも

楚服(そふく)という女性妖術師(巫女?霊媒師?)が出てくるのですが(実在の人物)、腰斬刑(ようざんけい)という残酷な腰を大きなノコギリ?様なモノで切断する刑で亡くなっているのですよね・・(かなり怖い終わり方・・)


<<パラレル伝達「楚服(そふく)」>>

「たゆまぬ努力により妖術を習得。小虫を使った毒を作り、陳皇后に渡しそれを衛子夫に飲ませるはずが叶わず、他に陥れる策に呪術をもって手を貸した大逆罪により刑死した・・」

私:「霊能者みたい・・?なのだったんですかね・・??」

パラレル:「呪術者。呪術者というのは、霊感や霊能力がなくてもできるが、楚服はかなり先を見通せる霊感があった。・・が、無残な最期を迎えてしまった・・。その力を逆に武帝を導くような使い方をすればそんなことにはならなかったかもしれない。悪事にその力を使ったゆえ、残忍な最後を遂げた・・」



・・というんですよね・・。



現代の先進国である日本であれば、このようにわりと安全に情報発信もできますけど、

古今東西、はるか太古から、霊の世界と通じた者は、時代と場所が悪ければ、ひとつ間違えば、非常な危険(命にも関わる)にさらされるリスクがあるのです・・(大~~冷汗;;;;!)。



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馮太后①(前半):中国歴史ドラマ『王女 未央』

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『王女 未央』、家族スピさん達とわくわくしながら観ました。

実は、『王女 未央』、最初1、2ぐらいは、さほどおもしろいと思わなくて、主演のティファニー・タンさんもそれほどきれいと思わなくてノーマークだったのですが・・・

なんと主演のこのお二人(ティファニー・タンさんとルォ・ジンさん)、ご結婚されたそうなんですよね^o^/

なんかヘンな入り方だったのですが、「へーーー」っと、なぜかそれから気を入れて見るようになって、そのうちにティファニーさんとルォ・ジンさんの見た目の美しさと物語の面白さがよく分かってきたの・・。

いやいや~ 美男美女ですよねぇ・・(うっとり・・)。

もうそれからは、『王女 未央』にどっぷりはまったのでした・・。






さて、霊視に入りましょう・・。

この物語で霊視したい人物は、おもに二人、未央(文成文明皇后馮太后)と文成帝を中心に実際の登場人物や時代背景などパラレルの神様に教えてもらいましたよ・・!




(※まず、その前に、参考資料として、下記のウィキペディアの概要をお読みください↓)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%88%90%E6%96%87%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E 以下、wikipedia より抜粋:


文成文明皇后

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

文成文明皇后(ぶんせいぶんめいこうごう、442 - 4909月)は、北魏の文成帝の皇后。馮太后(ふうたいごう)と称されることが多い。

 

 

 

生涯

父は秦州・雍州刺史馮朗。母は王氏。父の家系は五胡十六国時代から南北朝時代初期にかけて遼東を支配した北燕の皇族であるが、この北燕は北魏により滅ぼされ、馮朗は北魏に降って重用されていた。しかし馮朗は罪を問われて誅殺され、身寄りをなくし幼かった馮太后は、北魏の太武帝の左昭儀(後宮における称号で皇后に次ぐ地位)だった叔母の馮氏に従って後宮入りした。14歳の時、太武帝の孫で第5代皇帝である文成帝の貴人となった。後に皇后となるが、文成帝は465年に若くして崩御し、彼女は悲しみのあまりに文成帝の遺体を火葬する際に火中に身投げしたが救出されて一命を取り止めた。

 

文成帝の跡を継いだ息子の献文帝の代には、義母として皇太后として補佐にあたった。しかし献文帝が成長するにつれて対立が生じ、皇太后は献文帝を脅迫して471年には息子の拓跋宏(孝文帝)に譲位させた。しかし献文帝も報復として太皇太后が寵愛していた家臣李奕を殺害したため、476年に献文帝を毒殺し、北魏の政権を完全に掌握した。

 

太皇太后は抜群の政治手腕を見せた。484年、同姓不婚・俸禄制・均田制・三長制・租調制など様々な政治改革を行ない、北魏の全盛期をもたらした。一方で丞相乙渾など政敵に対しても容赦なく処分し、謀反の目を事前に摘み取る切れ味も持っていた。

 

晩年の太皇太后は寵愛する家臣だけを側に侍らせ、斉の使者が美男子だったことを知ると自らの宮殿に閉じ込めて帰還を許さなかったなどの行状も伝えられている。4909月に死去。享年49

 

人物

文成文明皇后は事実上の北魏の女帝として抜群の政治力を見せている。彼女の施策は孝文帝により受け継がれ、北魏は全盛期を迎えることになった。

 

異常に権勢欲の強い女性であったと列伝に記録されている[1]

 

文成文明皇后と孝文帝[編集]

 

 

 

母子説

文成文明皇后と孝文帝は系図の上では血の繋がりは無いとされている。ただしこの両者は母子だったのではないか、とする説がある。

孝文帝が生まれた467年、父親とされる献文帝は満年齢で13歳で、当時とはいえ子を成すには早すぎるという点[2]

太皇太后の死後、孝文帝が義理の祖母のために重臣の反対を押し切って、中国で本来は自らの父母に対して服する喪である「3年の喪」に服した点(ちなみに孝文帝の生母とされる思皇后李氏は太皇太后により殺害されている)[2][1]

孝文帝が太皇太后の死去まで自分の産むところを知らなかったとある点[注釈 1][1]

孝文帝が太皇太后の一族を厚遇する一方で、自らの生母とされる思皇后と李氏の一族を冷遇した点[注釈 2][1]

権力欲が異常に強かったとされる太皇太后であるが、467年に孝文帝が生まれると同時に、何故か彼の育児に専念して政務を一時的に離れている点[1]

当時の史書が太皇太后と孝文帝の関係を「母子」と表現している点[1]

 

 

父親は誰か

孝文帝の父親は献文帝とする説が根強い。これは当時、皇太后の勢力が伸長してその圧力があったとしても、北魏を支える鮮卑の重臣が皇位継承の正統性のない、あるいは疑わしい太子への譲位を認めるはずがないからである[3]。献文帝が太皇太后の圧力により譲位を余儀なくされた際、献文帝はせめてもの抵抗として叔父の京兆王拓跋子推に譲位しようとしたが、鮮卑重臣の多くが「父が子に位を伝えるのは古来からの定めであり、北魏においてもしかり。皇太子は正統にして聖徳はつとに明らかである」と反対し、孝文帝への譲位を求めている[3]。太皇太后の没後から6年後の496年に孝文帝の漢化政策に反対する鮮卑重臣が反乱を起こし、その際に反乱軍は孝文帝の皇太子の元恂を旗印にしているが、孝文帝の政治路線に反対する派閥がそもそも正統でない孝文帝の長男を擁立している点なども考慮されている[3]。ちなみに太皇太后の夫であった文成帝の可能性は全くない。何故なら文成帝は4655月に崩御しているからであり、4678月に生まれた孝文帝の父親としては説明がつかない[4]

 

献文帝は467年の段階で満で13歳、皇太后は26歳であった[4]。ただ、北魏の皇帝は多くが若年で子を成しており、献文帝は父親が15歳の時、文成帝は13歳の時に子を成しているので別段不思議でもない[4]。これはすなわち胡族の間にある、父親の生前の夫人がその跡を継いだ子の妻となるという風習(生母は除かれる)、つまりレビラト婚の風習だったのではないかとされている[4]

 

ただ一方で、献文帝は太皇太后により毒殺されているのに、孝文帝が何故生前ならともかく、没後も太皇太后やその派閥や徒党を処分しなかったのかとする疑問もある[5]。これに関しては、漢化政策を推進する孝文帝が人一倍孝養の念に厚かったため、とされている[5]







↓ さっそく、神様(天界・神界)に霊視で視せてもらいましょう・・!




●未央(文成文明皇后=馮太后)

まずは、ヴィジョンにより視せていただいた実際の文成文明皇后なんですが・・


っっ・・ 小柄な少女のような容姿・・(中華系というよりも、日本人的な落ち着いた幼い顔立ち。一重まぶたでも目は小さくなく、少女のような落ち着いた淡々とした品のある顔立ち・・なかなか賢こそうです。※注:入内した頃のヴィジョン※)

パラレルの神様のお伝えするところによれば・・

「”中学生”のような容姿の女性であるが、頭はピカ一。軍略家的な素養のある女性。」とのこと。

この ”軍略的な素養のある” という箇所をよく覚えておいてくださいね、後々説明しますんで・・





●文成帝

ウィキディアによれば、仏教を保護し、おだやかなイメージのある文成帝ですが、パラレルの伝達によれば罪には相応の極刑を課す、という容赦ない面も持っていたようですが、安定した治世を築いた。

(※為政者には、いろんなタイプがいますが、正しい政治を行った帝ですね。)


中華系美男子ルォ・ジンさんが演じていましたが、実際は・・

「ずんぐりしたおじさん」のような容姿の男性・・。

(若くして亡くなられていますけど、おじさんのような容姿の男性だったようです)

(身だしなみをちゃんとした衛生的なタイプだったみたい・・ えぇ まぁ やんごとなき御人なので・・・ )




●李長楽(チャン・ルー)

李貴人のことなんだと思います・・(献文帝のお母さんの・・)。

実際の李長楽は、わりあい社交家で気取らず、派手な道楽好きの女性・・、とのことです。

な、なるほど・・。いわゆるあか抜けた気の利いた女性、、とかそんなところですかね・・。

ドラマでは悪女として描かれてますが、とんでもない・・





うーーん・・、

ドラマと実際では、ストーリー設定がだいぶ違うところもあるようですが、

(!!※馮太后と文成帝さんお二人の御霊は、ドラマと史実があんまりにも違っている!、もう少し史実に近いドラマはないのか・・!!と訴えております・・!)



実際は、未央は、李家に入っていたというのはもちろんナシで、叔母の馮氏が魏の皇帝に嫁いでいた=つまり、魏の有力皇族の姪っ子だったわけですね。未央は、北燕の皇族の娘、にあたるのですが、北魏に滅ぼされ、父の馮朗は罪状により殺されて、身寄りを亡くした幼い未央は、北魏皇帝に嫁いでいた叔母の左昭儀・馮氏のつてで北魏の宮廷に入ったのですが、左昭儀・馮氏の権勢もあり、北魏の宮廷でもずいぶん可愛がってもらったようなんですよね・・霊視によれば・・。

文成帝も、「かわいい」って思ったみたい・・。



その縁故で魏の後宮に入ったわけだから、そんなわけわかんないアドベンチャー的設定で李家になぞもちろん入っていなくて、

滅ぼされた属州の有力貴族の娘が、普通に魏の後宮に輿入れしたわけ・・。

由緒正しい人なんですよ・・  馮太后は・・。




(ちょ~っとねぇ、ドラマを盛り上げようと、設定が実際とすごく違っているようなんですよね・・)

(↑お二人も、そこの辺りが不満みたい・・ ドラマ自体はおもしろいですけど・・)




私はね、物語を離れてウィキペディアで語られている ”史実” のところで、もしかしたら、実際は、文成帝は、側室である李長楽のほうを寵愛したのでは・・? なんて思ってたんです・・。

(李貴人(=李長楽)は、史実※伝えられているところによれば、大変な美女で有名だったようなので・・。)
ですが、霊視によれば、実際の文成帝はフェミニストで、公平にどちらの女性も大事にしたそうなんです・・(驚! 珍しいですよね・・ 普通、中国の後宮、というと、かならず皇帝にえこひいきされる ”寵姫” ってのがいるもんです・・)

女性には、公平にやさしいタイプだったようですね・・ 文成帝は・・。




(文成帝ご本人と同調して繋がったので、どちらを愛していたのか聞いてみました・・!

答えは ・・・

なんと馮太后なんですって・・!)






というのはね、パラレルの神様が説得力のある説明をくださったんですが、

さきほど、文成帝は、 「ずんぐりしたおじさん」のようなルックス、と書きましたよね。

そんなこともあってか、

文成帝という人は、いわゆる女性に溺れるタイプではなく、

馮太后のような誠実なタイプを好ましく思っていたのだとか・・。

皇帝という立場におられましたが、まじめな誠実な男性だったようです。

(仏教の信仰心篤く、北魏の民をねぎらい良い国にするため善政を敷いたパラレルの神様にも覚え目出たい良い帝だったそうなんですね。)

李長楽(チャン・ルー)は、蝶よ花よ・・と華やかな派手な男性にモテるタイプなので、大事には接したようですが、タイプ的には馮太后のそのような誠実さをとても自分と近い者として好ましく思い、愛情を注いでいたようなんです・・





だけどね、容姿的なことで書き連ねていたら、文成帝さん、怒っちゃいましたけどね・・(汗;(゚Д゚;)ヤバイ)




そ、それでね・・、

「孝文帝=※文成帝の孫、の父親は誰か」というウィキの説明にあるように、

文成文明皇后と孝文帝の親子説、文成文明皇后と献文帝のレビラト婚による親子説など、

いろいろ憶測されているようですが・・



霊視によれば・・

未央さん、自分の祖国(北燕)を滅ぼされ、北魏の後宮に入り、文成帝の妃となるのですが、

子供ができなかったんです・・

(*国は違いますが、韓国の朝鮮王朝の正室の方など、子供ができない人ってけっこう多いのです・・)




で、未央さん、子供ができなかったものだから、

「自分の子ではなくても、夫(文成帝)の子供たちを一生懸命かわいがろう・・」と思ったようなんですね・・。

(すごく頭のいい人で、”軍略的な素養のある” 人だから、そういうのももちろんあって・・)

で、

しかも、しっかりちゃんとした帝位につける素養のある子供を見込んで、自分の子供のようにかわいがったのだとか・・



献文帝は、李長楽(チャン=ルー)の子で、折り合いが悪くなり敵対してしまうんですが、

献文帝の子である孝文帝は、未央から見れば、子であり孫のような感じだったのでしょうし、そうやってすごくかわいがってもらったし (だから太后の死後も考を尽くしたのでしょうし・・)、

だから、

孝文帝は、

夫(文成帝)亡き後、 ”軍略的な素養” から、

 ”布陣を敷き” 、絶対的揺るぎない確固たる地位を築いていた馮太后の言いなりというか・・、そういう感じだったみたい・・。




この『王女未央-BIOU-~錦繡未央』というのは、

中国のネット小説『錦繡未央』を元に作られたようで、

「錦繡」というのは、わたしは中国語は分からないですが、

”すばらしい” とかそのような意味ですよね・・



中国王朝の後宮で子供がいない、ということは、圧倒的不利な状況ということですし、

ふつうであれば、勢力争いからは疎外されるか、ヘタすると自分も潰される・・

後継者争いで陰謀渦巻く王朝の後宮で、頭脳戦により、自分の地位をしっかり固めながら、政治的にもお得意の ”布陣敷き” で国家政策を行い、盤石な体制を築いた・・

(※王朝史で、女性で子供なしでこのような権力を手中にできる例は珍しい です・・)




まさに ”「錦繡」” で、

頭がすごくいいだけでなく、まじめでさっぱりした正しい性格のすごく良い性格の女性だったわけ・・




だから、私、そういう馮太后さんの正しい性格、すご~く好きになっちゃって、

文成帝さんのフェミニストで誠実で愛情深いやさしい性格も好ましいし、

同居のスピさん共々、皆で、

馮太后さんと文成帝さんのカップルの御霊がとこしえに幸せであるように、

祈願しているのです・・・。




BIOU.png

野の花が似合う二人・・・

(実際は、素朴な感じのお二人なんです)







でね、後になって、


馮太后さんに関して、

とてつもない悪いこと が分かったの・・・。

(それは、文成帝さんを激怒させることなのですけど・・。。)


文成文明皇后(馮太后)については、『王女 未央』の内容に合わせて、このドラマの物語 の ”雰囲気” を壊さず、楽しむために、とりあえず今回はここまでの内容に留めます。一回ではなかなか書ききれない面がありますので・・

非常に興味深く、

まだいろいろと気になることがありますので、

馮太后さん(文成文明皇后)については、

今回を「前半:」として、また今度、別記事で(後半として)書いていきたいと思います・・



     
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プロフィール

前世占い師エティース

Author:前世占い師エティース
(エティースと前世の子供Wes&Rao)


いただいている霊的お役目は、審神者(サニワ)です。
審神者だけに霊体の見分けを得意としております。
こちらの歴史霊視ブログでは、
金兎占」による、歴史上の人物の霊視ヴィジョンとその生涯を、
神界・天界のご神仏のお力をお借りして伝達してまいります。
(なぜ金兎というかは、こちら をごらんください。わたしの直前の転生来歴によります。)
わたしと前世・心霊世界の扉が開いたきっかけ、同調してくださる境界の神様達や、同居のスピさん(前世霊・縁の深い大家族霊)達との交流については、下記のメインブログをご覧ください↓





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