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北条政子さんを霊視



昨年、NHK大河で話題になった『鎌倉殿の13人』から、だいぶ遅れまして、

(昨年、そのテレビ観たかったんですけど、見れなくて、なかなか記事にすることができず、)

今頃ですが、

北条政子さんをとりあげたいと思います・・。



私がまだ小学生の時分、霊感のあった祖母から、

「【尼将軍】なんて、その時代の大昔の女の人でそんな風になったなんて、すごすぎる・・!」

(女性にしてみれば、すご~く大昔の日本の女性が、男を押しのけ、そんな風に出世できる、

というのが祖母にしてみれば、痛快に映っていたのかもしれません・・。

・・と同時に、祖母曰く、「昔の女の人はかわいそうだよ。。」そんな風にも言ってましたね。

これは、日本の歴史の中で、戦国時代など、政略結婚の道具的に、婚姻なども定められ、自由など到底なかったこと、昔は、避妊などの方法が確立していなかったため、女性は常に受け身で、子供を次々に孕んで産まねばならなかったこと・・、また医療技術が未発達で、お産などで命を落とす女性も多かったであろうこと・・」。 男中心の社会の中で、今風にいえば、「個人の力を発揮して運命を切り開く」のとは対極な無力な女性、そんな風に扱われてきたからなのかと思います。)



さてね、

北条政子さん、

詳しくは、みなさん、昨年、『鎌倉殿の13人』で観たでしょうし、

歴史上有名な人物なので、

だいたい皆さんご存知でしょうから、詳しい説明は割愛し、

( * wikipedia をご参照ください・・)



さて、霊視のほうに移っていきましょう・・


心霊世界曰く・・

北条政子さんは、頭の良い女性・・。頼朝はしてやったり・・だな・・。」


(政子さんが頼朝さんをほとんど押し上げたのではないですかね・・)



また、も一つ曰く・・

北条政子さんは、ふつうの人ではない・・

※”ふつうでない” という表現は、いいことであったり反対に悪いことであったり、します。

ここの箇所もよく覚えておいてください・・。




現代に現存して残っている絵姿の源頼朝さんて、大変にハンサムなお顔立ちですよね・・。

おそらく、

北条政子さんは、

平治の乱で敗れ、流罪となった源頼朝さんに惚れたのでしょう・・。

(ええとね、情熱的な女性かな・・)


で、

霊視のヴィジョンによる

北条政子さん・・ ↓



Masako Hojo



美人すぎる・・!



これがね・・


この時代、これだけしっかりしたお顔立ち・・ 

かなりな美人ですよ・・!



頼朝さんのほうも、・・

「これは・・ かなりの美しい女人・・」

・・と悦んだはずなんですね・・。



ですがね、、



ここまでは いいのよ、頭が良くて美しくて・・ 北条政子さん・・!」



wiki のほうの説明にもありますが、

その後、源頼朝さん、折につけ、その時々で、お妾さんが何人もおられたようなんですが・・


で、北条政子さんが激しく嫉妬して・・ お妾さんの家を打ち壊したり・・、 と、

他にさまざまな逸話がおありのようです・・。



神仏曰く、

「北条政子さんは、嫉妬深い火のような激しい女人・・」



・・と同時に、神仏は、


北条政子さんの中の、


’気’ の病を発見していたのでした・・


’気’の病、というより、’血’の病 でもあるんですけど・・

blood2.png


ええとね、

霊信によれば、

母方のほうの遺伝性の(大袈裟に書けば)精神疾患、、・・のようなもの・・



これは、精神疾患のようなもので、一度カ――――ッとくると、もう誰も何もどうすることもできない_____________。


(ちょっとですね、以前とりあげた、則天武后、のように、肉刑も辞さない_______、というような、激しいハード・コアご気質の女人、であったようなのです。)



ですから、そのような、女性関係の嫉妬だとか、頭にくると、

とにかく一度何かしてやらなければ気が済まない_____________!

(ご本人が、そのように言っておられるのですから・・。)



有能で、頭のすばらしい、大変な女傑であられたはずなんですけど、

御性格がよろしくないところがおありですよね_________↓




あのような法師の姿におなりになられたのは、

ご自分でも もうどうしようもない、体の中・頭の中から湧き上がる激しいご気性______

何かそれを沈めたい______、神仏にすがりたい気持ちもあったのではないでしょうか____。




司馬遷さんの霊視での真実・・

minoan_mini.png



司馬遷さんは、中国・前漢・武帝の時代の高級官僚・大歴史家で、彼の著書である『史記』は、時代を超えたベスト・セラーで、現代の私たちまでも読み継がれています。


司馬遷さんについては、

「武帝の西域・匈奴討伐の際に活躍した将軍・李陵(捕虜となって匈奴に捕われたが、敵方の且鞮侯単于に目をかけられ、単于の娘公主を娶り、匈奴側に帰順した・・ つまり、漢側にとっては敵方に寝返った将、ということになりますよね) を弁護した罪で、武帝の怒りを買い投獄され、去勢刑(官刑)を受け、その後赦免され、官職に戻って『史記』の執筆を許された・・」


というのが一般的史実になっています・・。




 Shiba_Sen.png    Shiba_Sen2.png

(横山光輝さんのマンガ・『史記』も有名ですよね。

※『史記』のマンガは他の著者さんの作品もあります)




私が、はじめて、司馬遷を知ったのは、まだ十代の学生の頃でしたが、

歴史の授業で、一般に伝わる史実を聞いたとき、

そんな残酷刑を受けたという大きなショックを感じたと同時に、

大きな違和感を感じたものです。

そしてその違和感は、中高年になった今もずっと印象は変わらずです。

(もしかしたら他のみなさんも、わたしと同じように違和感を感じておられる方いらっしゃるのではないでしょうか。)


とにかくね、「変だ」と思ったの。

(私は、40過ぎの遅まき霊能開き派のため、その頃は、霊感の「れ」の字もまったく皆無・・。)

だってね、

古代中国では、罪人に対して様々な刑罰がありますけど、

なんで、よりによって、あの刑(去勢)なの・・? って。。

讒言しただけで、あんな刑に遭いますかね ・・ ??

(官僚は意見を述べるのが仕事なんじゃ・・?! (゚∀゚;))

 



司馬遷さんの御霊にはじめてアクセスしたのは、

この歴史霊視サイトをやり出したまだ初期の頃でした。。

司馬遷さんの御霊にアクセスすると、司馬遷さんの生涯に大きな影響・関連性を持つ人物として武帝が関連しているのですが、

最初、霊視により、武帝さんの御霊から得られたメッセージは ・・、


「黙して語らず・・」


(※司馬遷さん側:私にはあらかた語ってくださいましたが、真相をある程度ポイント的になら知ってもらってもよい、という気持ちもあるが、歴史家司馬遷としての立場をずっと守りたい、という気持ち。

※武帝側:義理堅い性格で死後もなお、司馬遷さんの一件に関しては、頑固に石のように秘密を守る、という姿勢でいます)



わたしは霊世界の審神者(サニワ)ですから、

ご本人の気持ちや意志を尊重した上で発言なりしないといけません。

ですので、上記の理由から、長らく、司馬遷さんの件は、おそらく、記事にするのは難しい・・

私はある程度、御霊からライフ・レコードを知ることができたが、それを記事にすることはできるのだろうか・・ とずっと長い時期思ってきたので、どうしたものか、しばらく保留・・、となっていました。


で、数年経って、つい最近になって、

「そうだ。差支えない範囲で表現し、”ミステリーはミステリー” として書いてはどうか。」

と思い立ち、司馬遷さんの御霊自身もある程度賛同してくださったので、記事を書いてみることにしました。

司馬遷さん自身も、ご自身の起きた悲劇の真相を知ってもらいたい、という気持ちもあるのかもしれません。

(司馬遷さん自身も、あんまり詳しくは書かないでもらいたいが、あらかたかいつまんでポイント的に示してもらいたい・・という希望に沿って書いていきますね)



私が霊視により、天界のご神仏より賜った司馬遷さんのライフ・レコードというのは・・

「奸計により、とんでもない罪状を着せられ、官刑(きゅうけい: 去勢)を下されてしまったが、真実が露呈し、武帝の恩赦により歴史家としての成功が約束された・・」


というものでした・・。



つまり、謀(はかりごと)により、無実であった司馬遷さんが、とんでもない刑罰を受けてしまった後で、真実が露呈し、恩赦、というよりは、それを知った武帝の、「とんでもないことが起こってしまった。。」、という悔やんでも悔やみきれない気持ち、それが、今現在でも、あのような御霊の、”石のように頑固に黙している・・” という気持ちに現れていたようです。


武帝は、

無実の者に、あのような残酷刑、当時のおそろしい罪人に対する去勢のやり方、あまりにも恐ろしく、

真実が分かった時の大きなショックと、司馬遷さんに対してとんでもないことをしてしまった恐ろしさと申し訳なさ、それが、死してもなお、あのように

石のように黙して語らず・・。あのような心になっているのだと思います。

(武帝自身が、ある意味、その刑罰の恐ろしさに ”トラウマ” になっちゃったんじゃないかな・・)




霊視は、次のように始まりました・・



(それ以降は、スライド的に、それに関連して起こったシーンが

映し出されました・・)


Shiba_Sen3.png

(*イメージ:霊視によれば、古代中国宮廷の高級官僚の衣装は、”ナス紺” とのこと。

中国歴史ドラマ画像からお借りしてきたんですが、右の衣装は黒で、・・そうね、霊視の色を忠実に表現すると、左右二つの色を混ぜたような色になります・・)





司馬遷さんの奸計・謀(はかりごと)に関わった人物として。。


ある女性とその一派、が関連するのですが、、

(もうここからは、司馬遷さんから×印のオフレコ注意が入って武帝さんの立場も悪くするから・・と。)


・・ええとね、ちょっとね、お二人とも、陥れた人物については、ヒントでさえも、

×印のオフレコ、を入れているんで。。



つまり、こういう書き方ならいいでしょう、、


つまり、私どもの霊視によれば、

司馬遷さんは、司馬遷さんをやっかむある一派により、

ある女性とのスキャンダルをねつ造されて、

あのように恐ろしい去勢という官刑を受けてしまった。。

(↑この書き方だと、お二人は大変満足されています。。)



匈奴討伐で捕虜となり敵側に寝返った将軍・李陵を弁護して宮刑を受けた、、というのは表向きの大義名分であったようです・・。

(*仮にも、太史令という上級官僚にあのようなむごい刑罰を下した表向きの理由・大義名分・・が必要でした)



司馬遷さんて、ものすご~く真面目なお人柄である、と霊信で伝わるし、

しっかし、武帝さんも、もうちょっと調査できなかったんですかね 。・゚゚゚゚・。

(あんまりね、私の想念で武帝さんをなじると、司馬遷さんの怒りと復讐心が増幅しちゃって、武帝さんの御霊が危険なので、そこをなんとかなだめないとなんですけど。。、、)



刑の実施について霊視・霊信により判ったことは・・

武帝さんの即断で刑が決まった、、というよりは、

司馬遷さんを陥れた張本人達の讒言(ざんげん)・進言により、その刑罰が決まったとか・・

武帝さん、というのは、『衛子夫』さんの記事でも書きましたが、能力・実力のある人物を好んで重用したことで有名な皇帝なんですが、

司馬遷さんのように太史令の地位にまでついていた有能な人物を失うのは、とても惜しい・・、、と思い、いったいどうしたものか考え込みました。

(現代まで読み継がれるベスト・セラー歴史書を書けるだけの歴史家を武帝が失いたいはずはありません。)

そこへ、その官僚達は、


「司馬遷に官刑(腐刑)を施し、後にまた官僚として登用すればよい」


と進言したのでした・・ (悪

 

その悪人官僚達は、司馬遷さんがそれまで着ていた太史令の官服を、宦官(去勢された宮中役人)の服に替えさせ、侮蔑しバカにして笑いものにするのが目的 でした・・



司馬遷さんは、申し開きはできなかったのでしょうか。。

霊視・霊信によれば、奸計により呼び出されて現行犯で捕えられた上、

(呼び出されてその場に行っただけで、もちろん何もないですよ、その女性とは・・)

その時の武帝さんは、政務に忙殺されており、匈奴討伐の問題で忙しく、

そのような女性スキャンダルを後回し、というか、いまいましい・煩わしい問題として政務に忙殺されているうちに、刑が施行されてしまったようです・・



※先ほども言いましたが、

司馬遷さんは、古代中国・漢の宮廷で、太史令の地位にまで就き、武帝さんも、その才能を失うのをとても惜しんだほどの人物で、現代まで読み継がれるほどの歴史書を執筆・編纂したほどの方であったために、そのように周囲の妬み・やっかみを相当買ってしまったようです。




私は、神仏のお力でいろいろなモノを視せていただきますが、

一番恐ろしくて、奇怪・キショイ(気持ち悪い)ものは、

人間の心だと思っています。。

(すべての人間がそうではないですが、ピュアな良い心の人もいれば、

そうでない人間もたくさんいるものです・・)




※そして、常々、ブログでも言っておりますが、

そのように、悪意により他人を陥れたり、危害を加えると、

やった本人が生きている時か、または亡くなってから、

同じ 裁決を受けることになるのです・・。


*真実が露呈し、また再び武帝さんから重用され出世と成功を約束され高級官僚・大歴史家として返り咲いた司馬遷さんが、自分を陥れた悪人官僚達に同じ刑を執行し復讐を遂げたのは言うまでもありません・・

(だから、他人をいじめたり、動物虐待などしている人は気をつけましょう・・)


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『オスマン帝国外伝』オスマントルコのスレイマン大帝・ヒュッレム(ヒュレム)妃を霊視

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オスマン・トルコ帝国の皇后・ヒュッレム妃(ロクサレナさん)は、
”奴隷皇后”_________と題されるように、
タタール人に捕えられ、奴隷としてオスマン・トルコに売られ、皇帝に献上されたウクライナ女性。
私も数年前に、はじめて、”奴隷皇后”というキャッチコピーに衝撃を受け、
興味を持って、このシリーズを見始めたのがきっかけだったのですが、
(それまでは、そのような来歴の皇后がいた、というのを全く知りませんでした・・ 汗;)
この ”奴隷皇后”、______ というネーミングに、私も同居のスピさん達も皆  としながら、ドラマを楽しみました______。


ちょ~っっとね、いろんなところで取り上げられているヒュッレム(ヒュレム)さん像とこちらの霊信によるイメージがだいぶ違うので、
比較しながら進んでみましょう・・ では・・!↓



参考①【歴史観によって大方の人が想像しているヒュッレム(ヒュレム)像】:
タタール人により、征服奴隷として捕われ、皇帝のハレム(後宮)に献上された。スレイマン大帝の寵姫となり、立て続けに皇子・皇女(6人 *うち2人は早産だったり、夭折。)を成し、

先の寵姫ギュルバハル(マヒデブラン)を押さえ、

正式なオスマン帝国皇后となり、権勢を奮った。


参考②【篠原千絵さんのマンガ『夢の雫、黄金の鳥籠』で捉えられているヒュッレム(ヒュレム)像】:
篠原千絵さんが捉えておられるヒュッレムのパーソナリティは、
「機知に富んだ、頭の良い女性」像です。





それでは、霊視に入りましょう・・。↓


典型的な東欧ロシア人的容姿特徴を備えた女性。

下半身が太く、たくさん子を成せるじょうぶな体型。

あ、案外ね・・ ”庶民的”な顔立ち・・



※ヒュッレム(ヒュレム)妃については、肖像画がいくつか残されており、Hurrem portrait

(肖像画は、描く作者により、またその時の被写体の状態(体重増減や老化・・)により、
顔のイメージが違って見えますので、
当方でも霊視で描き起こしてみることにしました。)






Roxallena1
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるヒュッレム(ヒュレム)妃




ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
目が「ひとえふたえ(象嵌=※一重に近いぐらい二重線の幅が大きくてはっきりしない二重)」
で、私の霊視画で二重線をだいぶ上のほうに書いたらどういうわけか似てなくなっちゃうので、
顔を似させるため、二重線は近く描きましたがご容赦ください。
で、アラブ風の化粧を施したのがずっと下の画像の顔になります。
天界・神界のご神仏、精霊さま達から伝達された霊視によれば、このような顔立ち、とのことです。

どちらかというと、
外国人でも、いわゆる ”地味顔”になるのだと思います・・。
(’クラシカル’ な風貌・・)


男の人を楽しい気分にさせる気取らない、

牧歌的で地味なキャピキャピ感ヽ(^◇^)/

のある女性・・・



(うまく伝わったかしら・・)
男のヒトがいっしょにお酒を飲んだら楽しいかしら・・??
男の人のおだて上手、明るくて気取らない楽しい会話、、の人

→ つまり、男性が ”息抜き ” するのに、ちょうど良い女性のタイプなんだ。。
(・・→・・、ていうと、思い当たる現代の女性の職業があるはず・・、、)



Roxallena3
スレイマン大帝と楽しくお話する時のヒュッレム(ヒュレム)さん・・


(※また、霊信では、
オスマン帝国のハレムでは、「女性は慎ましくあるべし」、
という風潮があったため、外国人であることもあったのでしょうが
ヒュッレム(ヒュレム)さんのようなキャピキャピ・キャラ☆☆・・というのは、
ちょっと異例だったようです・・汗;
ましてや、皇帝に対して、、ですよ・・?
でも、一人の男性にとっては、そういう女性がまた新鮮でかわいらしく、心を捉えられた、のかもしれません・・)


Roxallena
アラブ風のドギツイ化粧を施した顔





美人、といえば、
第一寵姫であったギュルバハル(マヒデブラン)さんのほうが、
正統派美人だわね・・
(ギュルバハル=※「春の薔薇」の意)


Mahidevran sultan


まさしく、
花のある正統派美人。
(ドラマ「オスマン帝国外伝」を見る傍ら、同居のスピさん(霊さん)達と何冊か本を読んだのですが、
その中に、’「外国の使節曰く・・、ヒュッレム妃は美人ではなかった・・」’と書かれていた箇所がありました。
ヒュッレム(ヒュレム)妃は、人によっては、そのようにも見える容姿・顔立ち、だったのかもしれません。)



この花のような美人にヒュッレム(ヒュレム)妃が結果的に勝った理由は・・

スレイマン大帝の、夜の 性的嗜好=「あるシチュエーション(ややアラブ的)にヒュッレム(ヒュレム)妃が合致したから・・
(内容は、スレイマン大帝が ”「無礼な・・!」”と大変お怒りになりますので、控えます(/ω\)
これ以上は書けません・・)




ヒュッレム(ヒュレム)妃は、
「魔性の女」とか「策謀家」と歴史的に評される事もありますが・・

天界の神体の霊信によれば、
「話しやすい明るい気さくな人。。 かと思えば、気配りのできる気のつく女性でもあり、しっかりしたたかに賢い面もあり・・、ちょっとひと言で言い得ないいろんな面を持った人柄。。」
要は、いろんな面を持った多面的な人柄。。、ハレムのように ”女の争い”が渦巻いていそうな世界にあっても、あんまりね、いわゆる「邪心」っていうのがない女性だったようです。
スレイマン大帝は、どちらかいうと国母として、賢い女性、、が理想だったのだけど・・
・・
どうも、この明るいウクライナ女性にやられちゃったみたい・・
心臓ドキューーン・・!
皇帝の自然な愛情により、奴隷の身分から誰も成し得ない地位まで押し上げてもらったの。。

王宮で奉られ、皆にかしずかれ、誰も成し得ないシンデレラ・ストーリーを成し得たすごい女性・・
とのこと。
だからといって、「増上慢 (//*慢心してえばったり、ツンツンしたりだとか、我が物顔になること。)」になる

でもなく、
ふんわりとやわらかな春の陽射しのようなあたたかい人柄であったこと、
そういう善良な性格が福徳を招いたのだ、とパラレル・ワールドのご神仏は評価しておられます。

(私): 「私の個人的な感想では、まだ多感な少女の年代に言葉が全く分からない異国に連れ去られ、さぞご苦労したのではないでしょうか・・?」

(天界のご神体):  「それがね、案外ね・・、 ”生真面目”、、っていうか、そういうね、努力家な面も多分に持っていて、あんまりね、後宮のなじめない生活・風習でも、よくそれに従って、イブラヒムのようなインテリ層にもかわいがられて生きた女性。」

(私): 「柔軟な女性・・ ということですよね。」

(天界のご神体): 「はったりかまさずね、負けん気あるタイプ(負けず嫌い)なんだけど、自分はガタイが大きく(大柄)・目が斜視気味で強面(コワモテ)に見られちゃうから、
そういうの ’隠す' ため、’明るく穏やかなにこやかな笑い声で

  ヽカムフラージュ(*^ o ^*)・・」


※だからね、ヒュッレム(ヒュレム)妃は、自分でも、美人だとかかわいいなんて全然思ってもいなくて、ガタイがデッカくて、見た目ぱっとしない、かわいくないタイプと自分でも思っていたみたいなんです・・。




(私): 「 ’世渡り上手・・’!」

(天界のご神体): 「全く その通り。・・(汗;)」

(天界のご神体): 「それでね、【歌】を歌うことで、自分の存在を示したの・・。その明るいやさしい歌声の中に、さらに遠い自分の生まれ故郷から侵略者にかどわかされて連れてこられた自分の苦境・境遇を詠み込んだ歌を・・!
その悲しい歌詩の内容が、これから一緒に人生を歩んでいく伴侶、ここから連れ出して欲しい人、つまりスレイマン大帝の足を誘ったのかもしれない・・。」


※遠い異国に、侵略者に拉致されて連れてこられて、ハレムに入れられて、
ハレムの豪奢に着飾ったきらびやかな御人・側室達を見て、
「なんとか、ここから這い上がってやるわ。。」
みたいな、心の底にそういう野心、、まではいかないけど、
やっぱりね、一応、そういう気概、プチ野心、みたいなものは確かに持ってはいたようですけど、
なんかさ、何か悪巧みを考えて他人を陥れて蹴散らして・・、とかそういうタイプでは全然なくてね、
かといって何にも考えていないタイプでもないから、
何か策を講じるにも明るくプチかわゆくやるタイプ・・
つまり、そういうのにも邪心がないタイプ・・


※やっぱりね、けっこう、深く霊視してもらうと、やっぱり人ってすさまじい・・ (*_*;

※私個人的には、ヒュッレム(ヒュレム)さんて、柔軟ながらもすごく複雑でつかみどころがないタイプ・・。
やっぱり「◯o◯” 譲 向いてるよ・・」って思ってしまう。。


※いろいろなんでしょうけど、ご神仏様達が評価しているのは、
やっぱり、悲惨な境遇にもめげず、努力して懸命に生きたからだ、ということです。



なるほど・・。






スレイマン大帝については、ヒュッレム(ヒュレム)妃同様、肖像画が多数残されていますが、
なぜか横顔ばかりの肖像画が多いので、

Sleiman portrait

一応、
当方(天界のご神仏さまから)の霊視による画像を載せておきます・・



sleiman
当方の霊視ヴィジョン(金兎霊視)によるスレイマン大帝




男前ですよね・・。
整ったハンサムなお顔立ちだと思います。


スレイマン1世の治世に、周辺の領土拡大の度重なる遠征を成功させ、国家統治の最盛期を迎えた。
”壮麗王”と称されるとおり、
霊信によれば、
度重なる対外遠征費、豪奢な建造物、自身の豪奢な着衣・後宮の豪華な運営費、などに国家財源が投入された、とのこと。


さらに 霊信によれば・・

在位期間中、東欧・中央(ハンガリー、ウィーン)への長期にわたる度重なる海外軍事遠征、
領土拡張と海上交易路の掌握、、への軍事費用等々・・、
豪奢な宮廷運営費、壮麗な建造物の建設・・
それらにより国家財産を疲弊・窮乏させ、
体制への不満からトルコ周辺部族との対立も招き、
イェニチェリ(軍)の不満を招き、内乱が勃発した・・。
手厳しい言い方をすれば、
このように国家財源を過度の贅沢により消費するのは愚の骨頂・・。
それが原因で、
新しい反体制派(イェニチェリ)が台頭し、
反乱が勃発したが・・
それは、ムスタファ(マヒデブランの息子)を中心とした反対勢力であり、
そちらのムスタファ派のほうが支持者が多くまともな考え方の勢力、であったこと。
つまり、ムスタファ派が政権を執ったほうがまともな国政になったであろう、ということで、
一般的に知られる史実と一致しているようです・・。
多くの歴史観で、
ヒュッレム(ヒュレム)妃が策謀をめぐらし、ムスタファ皇子を追い込んだ・・、みたいに言われることもあるようですが、
霊信によれば、そうではないとのこと。
あんまりね、あこぎな女性ではなかった、とのことです。


ドラマ『オスマン帝国外伝』の物語に照らし合わせた時代背景・キャスト・それぞれの人生などを書くと、
それこそ膨大な記事になってしまうので、
今回は、ここまでで、ヒュッレム(ヒュレム)さんのパーソナリティ止まり、で簡単にしておきましょう。。



ヒュッレム(ヒュレム)妃は、オスマン帝国の従来の伝統であるハレムの一夫多妻制を変え、皇帝と法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一妻の関係を築いた女性で、
どんなパーソナリティの女性なのか、私もですが、
みなさんも、気になったかもしれませんね。



 また、お正月にふさわしい豪華なトピックですね。


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トンイ(淑嬪崔氏)を霊視


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今日は、韓国の歴史で聖君(善政を敷いた王様)として有名な英祖の生母・淑嬪崔氏を霊視します。
朝鮮王朝・粛宗の妃嬪ですかね。
(しばらくぶりの投稿で、お題は何にしようかな~、と悩んでましたら、
天界・神界のほうで、ご指名ありましたので、淑嬪崔氏にしました。)


淑嬪崔氏については、韓国歴史ドラマで、いくつか作品化されているようですが、
最近の作品ですと、イ・ビョンフン監督の『トンイ』がありますが、
(*イ・ビョンフン監督作品は、韓流歴史ドラマで唯一、暴虐な拷問シーンなど極力ない
子供でも安心して見れる、日本でいうならば、NHK的要素を持った
 ”安全韓国歴史ドラマ”なので、同居の子供スピさん&動植物スピさん達と
非常に安心して観れますv。)


イ・ビョンフン監督作品『トンイ』で描かれる淑嬪崔氏は、

賢く、すばしこく立ち回れる、気取りがない性格、、 の女性像
として描かれていますよね。

韓国ドラマでは、女優のハン・ヒョジュさんが、トンイを爽やかに好演してらっしゃいましたが、
実際の淑嬪崔氏は、どんな女性だったのでしょうか・・?

霊信により、伝えていただきましょう・・。



※淑嬪崔氏に関する ”一般的史実” はこちらでどうぞ..↓↓






【天界による霊視と霊信・・】



CheSukupin


私どもの霊視による淑嬪崔氏




色黒で目が小さく、小さい目のクリっとした目。
顔のパーツがどれも小さく、鼻が丸い、愛嬌のある感じ・・。
美人ではない・・。

老人になった時のヴィジョンも併せて見せていただきましたが、
この顔のまま髪が白くなった状態で、小さいクリッとした愛嬌のある目は変わらない・・
そのような感じ・・



淑嬪崔氏に関する有名なエピソードとして、「水汲み」女官・・ と言われて、
揶揄されたり馬鹿にされた・・
・・・というエピソードがありますが、
霊信によれば、
宮廷の雑事を担当する女官・・
なのだそうです。



でね、なぜ粛宗の妃嬪、という立場になれたのか・・


霊信によれば・・

(天界の神体): 「粛宗が酒に酔ってふらついていた時、たまたま部屋の雑事をしていた淑嬪崔氏を後ろから眺めて、まめまめしく立ち働く腰のあたりにむらむらっときてしまった・・」

・・のだとか・・

(※注:霊視によれば、”色っぽい”腰つき、だとかそういう感じではなく、身分の低い女官なので、白衣のチマと普通並みの腰体型。 なにぶん、酔っている時であったので、タイプだとかそんなではなく、” なんとなく・・ " そんな感じになったようなのです。)


(=※要は、” ラッキー・ガール ” のような感じ・・?=)





(天界の神体): 「淑嬪崔氏は、ひと言でいうと・・・・ 


 根性悪い 女性”  ・・・。」
     
(え・・? Σ(゚Д゚;)




粛宗時代の同じく側室である、朝鮮史上、悪女として名高い張妃嬪(チャン・ヒビン)もね、
これもまた確かに悪い女性なんだけれども、
最終的に あること をして、勝ったんですね、張妃嬪(チャン・ヒビン)に淑嬪崔氏のほうが・・



そ・れ・は・・


粛宗の正妃(正妻の王妃)は、仁顕王后閔氏であり、
当時の朝鮮王宮では、西人派と南人派の政治の派閥闘争が展開されていて、仁顕王后閔氏側についていた西人派が政権を握っていた。
仁顕王后は王妃に冊封され、6年を経ても子供に恵まれなかったため(不妊)、
対抗する荘烈大王大妃(姑)側の南人派は康熙25年(1686年)に「美貌に秀でた」中人(チュンイン/平民)出身の張氏(後の張妃嬪=チャン・ヒビン)を再度、後宮に送りこみ、承恩尚宮(スンウンサングン、正五品に相当)とした。 張氏は1686年12月10日に「淑媛」(スグォン、従四品に相当)に立てられ、さらに1688年に「昭儀」(ソイ、正二品に相当)へと昇進し、同年10月27日には王子李昀(後の景宗)を生み、康熙28年(1689年)1月15日にはその功労によって「嬪」(ピン、正一品に相当。側室の最上位)に昇進し「禧嬪(ヒビン)」と号され、李昀は王世子に立てられた。さらに同年5月2日、仁顕王后は廃され(廃妃)、1690年10月22日に張氏が王妃に冊封された[己巳換局] )。
これにより、それまでの西人派の専横に終止符が打たれ、それに代わって張氏側の南人派が権力を握ることになった。
また、しばらくして、これに対抗して、西人派では金春澤を中心に仁顕王后の復位運動(「閔氏重定運動」)が展開され、南人派の権力がかつての西人派のように増長することを危惧した粛宗が、仁顕王后を妃に復位することで張氏を後ろ盾にする南人派を牽制しようと企んだことにより、康熙33年(1694年)4月12日には張氏は王妃から「嬪」に格下げされ仁顕王后が復位した[甲戌換局]。 康熙40年(1701年)に仁顕王后が病没すると、西人派は王妃の死は張氏が巫女を使って呪詛したためだと誣告した。その結果、1701年11月9日、張氏は粛宗から賜薬により処刑された。


↑上記、歴史上伝わっている史実の中で、
私が赤字で示した箇所を見てほしいんですけど、
張妃嬪(チャン・ヒビン)が側室から王妃になり、張妃嬪(チャン・ヒビン)と南人派側が実権を握り、
南人派の政治専横を恐れた粛宗が仁顕王后閔氏をまた再び王妃に復位させますよね、数年後に仁顕王后閔氏は病没するのですが、その際、「西人派は王妃の死は張氏が巫女を使って呪詛したためだと誣告した」とありますが、
以下(緑)は、どの史実にも残されていませんが、
霊信によれば、
西人派というよりは、
淑嬪崔氏、本人が呪詛の証拠ねつ造をして(呪術の人形を用意して)陥れた張本人である、

・・ということです。
(張妃嬪(チャン・ヒビン)はその罪状により賜薬により処刑されますが、
つまり、霊信によれば、
この件に関しては張妃嬪(チャン・ヒビン)は全くの無実で、
淑嬪崔氏により陥れられてしまった、 というわけ・・)

・・だぁからね、ご神仏が言うのに、

”根性が悪い” 、っって・・ ・゚゚・。



霊信によれば、
淑嬪崔氏は、
仁顕王后さん仕えになり、お世話になった経緯があって、
仁顕王后に恩義と忠義の気持ちを持っていたのね。。
もちろん、それだけではもちろんないでしょうけど、
世継ぎ争いや、
張妃嬪(チャン・ヒビン)に牽制される中で、
侮蔑的な言葉を吐かれる、、・・などがあったようです・・。





・・そして、
霊信によれば、淑嬪崔氏は、

「’孤独な’ 老後」・・。

(仮にも、王の妃嬪として華やかなシンデレラ・ストーリーを送った人なのに、
どういうことなんでしょう・・??)




今回、淑嬪崔氏を記事にするにあたり、
息子の英祖(延礽君)さんは、
自分には一人のやさしい母親だから、
腹立たしかったかもしれない。。
でもね、
英祖(延礽君)さんは、
朝鮮王朝史の中で、”聖君” と讃えられるほど善政を敷いた
有名な王様で、心正しき人だから、
母親の罪業を良心により冷静に評していて、
罪業を贖ってほしい・・ と思っているみたい。。



天界の神仏がおっしゃるには、
’ 淑嬪崔氏は、
生まれ(出自が良ければ)頭のよい派手な性格の人だったんだけれども、
生まれた身分が低いため、学をつける機会がなかった。。'
・・とのこと。
でも、やっぱり、偶然にしろ何にしろ、結果的に粛宗のお手付きになって、
国王の母にまで登りつめ、
そのDNAは、しっかり英祖(延礽君)さんに受け継がれたのではないか、と思います。



わたしは、いろんな韓国歴史ドラマや中国歴史ドラマを見てますけれど、
最終的に、息子が王位に就いた生母の妃、、というのがね、
(出自の正しい高貴な身分の女性は別にして・・)
かな~りね・・ かなーーーーりな奴なんではないか・・と思ってます。

(もちろん、全部が全部ではないですが・・ 当然、、・・)
(つ、つまりね、最終的な生き残りのためにかなりな悪どいことをやっているのがいるんではないかと・・)


まあね、単純なんですよ、・・
中国史や韓国史の後宮の女性の争い、って、、・・
「策謀」。。 っていうの?
わたしだって、そんなのやり方とかいくつも思い付くし、
やろうと思えば、勝てますよ、、v 。。 


け・ど・ね 、、・・


この世には、犯してはならない ’罪’ 、 ’(心の)善・悪と裁決’  というものがあり、
今世に生きている者はもとより、
心霊世界においてはさらに厳しく審判・裁決される、
裁かるるべきものなのだ、、ということ。
だから、英祖(延礽君)さんも正しき人だから、
今回わたしにこの記事の公開を赦してくださったのかもしれません。。




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霊信似顔絵が一致したエピソード・・

minoan_mini.png


この冬 (2020年11月~12月) 、わたしの身辺に起こった心霊エピソードです。

霊信と似顔絵に関するエピソードですので、このサイトの歴史似顔絵にご興味おありの方は、

今回の記事も関連しますので、ぜひ併せてお読みください・・


この秋に、主人の友人であるZさん(すいません、なるべく個人を特定しずらいよう仮称Zさん、としておきます)という男性がお亡くなりになったのですが、

Zさんは、主人と昔からの友人で仲がよかったのですが、

うちの主人があまりマメな性格でないため、ずっと長年ご無沙汰にしており、

Zさんが亡くなる直前になって、主人とZさんの共通の知人であるZさんの奥様が、

疎遠であっても二人が仲が良いのを知っていて、

「もうダメかもしれないし、最後に会うなら今が一番いいから・・」と連絡をくださって、

主人は面会に行ったりしていたようでしたが、冬の前にZさんがお亡くなりになったんです・・


で、お亡くなりになった際に、奥さまのほうから、

「よかったら、ぜひ奥さん(←私のこと)もこちらの自宅に一緒に来て、お線香あげてやってください。」と。


私と主人はずいぶん年が離れており、主人とZさんとは学生時代からの友人のようですが、

主人が結婚した年が遅かったこと、お互い家庭生活などもあり、ずいぶん疎遠にしていたこともあり、

私自身はZさんには一度もお会いしたこともないんですが、

話だけではZさんのことを時々主人から聞いていたこともあって、

お会いしたことはまったくなくても親近感を少し持っておりました・・



それでね・・ ここから霊の世界の話に入るんですが、、


私自身が霊の世界の扉が開いている人間ですので、

Zさんがお亡くなりになってから、すぐZさんの霊さんと(亡くなって、初めて!)同調により、

面会できたのです・・☆!



(Zさんも、話では私のことも少し聞いていて、「いつか、みんなで飲みましょう・・!」と思っていたのが、亡くなって初めてわたしと面会が叶いました・・)


で、Zさんは、亡くなるに際して、重い病の末にお亡くなりになっており、体が思うように動かせない想念でずっと幽玄界あたり(つまりずっと下のほうにおられて)、

こちらのご神仏様のとりなしにより、上のほうに上げてもらって、一緒に話したり、

私のそばから主人を見下ろして、難クセをつけたり・・(・・つまり、ずっと疎遠にしていたことをなじり・・)

していました。


Zさんが亡くなって、日にちが経ち、ご自宅に伺って(わたしはご自宅に伺うのも初めてになります)お線香をあげに行く日が近づいたので、

Zさんが近くにいて霊通信していることもあり、

どうせならそばにいるZさんの似顔絵を描いて、奥さんに渡してあげよう。。

と思いついたんです・・



でね、

私は、

そばにいるZさんの霊の顔を元に似顔絵を描き始めました・・

(私):「(主人に向かって)Zさんて、メガネをかけていた・・?」

(主人):「・・・・・・・(ノーコメント)」

うちの主人は、無頼派で自分の証明写真とかはもちろん持っていますが、

写真というものをあまり持っておりません。

(別に不細工とかそういうのではありません、男前のほうだと思います・・)

もちろん、Zさんの写真なんてのも全く持ってません・・。

(・・というか、私が見たことがないだけなのか、主人の実家にでもあるのかもしれませんが・・)

それに、私の主人は、秘密主義なところがあり、

だから、私がさっき、

「Zさんて、メガネをかけていた・・?」と聞いても、ノーコメント、無視(´Д`;) よけいな事は言わない・・

(注:ちなみに、うちの主人というヒトは、理系で霊の存在やその世界を全く信じないタイプで、

主人のお母さんが亡くなって霊体になった際の様子を私が話しても、、

「いい加減なこと言ってんじゃねぇ・・!」

とにかく物理的に根拠がないことは全く信じない・・

そういうタイプです・・)



でね、、(そういうヒトだから、主人に隠れてナイショで)似顔絵を描き進めていく時に「えっ???(゚∀゚;)」と

面白いことに気付いたの。。


Zさんに霊の世界で初めてお会いするまで、

60代後半の男性の姿、、として、

(「イメージ」ですよ、、)

どちらかというと、「薄顔(つまり年をとってあまり印象のなくなった「しょうゆ顔」)」で、「髪は短髪で。。」なんて、勝手に ”想像” していたんですが・・


・・

なんかね、そばにいるZさんが、(私が、「似顔絵を描いて、お線香をあげる日に奥さんに渡しますね。」と言ったら)、顔を近付けてきて・・


その姿がね・・


「えっ こんなんアリ・・???」っていう感じの髪型だったワケ・・



YouichiSugawara.png

菅原洋一さんて、知っとる・・?



(私):「えぇぇっ?? 今どき そんな髪型アリ・・???」

(※ちょぉぉっとぉ 今どき かなり 珍しいですよね・・汗; モチロン顔立ちは全然違いますケド・・ それにしても、今の時代ではかなり珍しいカミガタ・・) 




・・それでね・・


「①メガネ + ②菅原洋一さんの髪型(笑)+ ③ギョロ目」


で、出来上がった似顔絵は・・


Zsan.png

Zさん

(※ここで、目を描き入れてしまうと、個人特定につながってしまいますので、あえて目は描き入れないでおきます)



Zさんは、大きなギョロ目をしているのですが、

Zさんが近くにいた時、またたぶん本人もより目を見開いていたため、元々大きな目がより大きく強調されていたせいか、私が ”勝手に” ギョロ目=二重まぶた、と思い込んで、二重の大きな目を描き入れてご自宅に持参したんですが、

まずご自宅に招き入れられて、わたしが突進した先は、ただ一点。Zさんの顔写真・・。


実はですね、

霊のヴィジョンで視たZさんの髪型が、イマドキかなり珍しい髪型だったため、

「ひょっとしたら、霊信が違ってるんでは・・?!」

とかなり心配だったんです・・ だって、あんな(なんて言ったら失礼だけど)珍しい髪型・・



でね、「あっ」と思ったのは、


ギョロ目が失敗した・・↓


お写真で実際に見たZさんは、ギョロ目はギョロ目なんですが、これまたかなり珍しい

一重ギョロ目・・

(Zさんは、一重でこれだけ大きなギョロ目、、ということは、かなり目のきれいな男前のお顔立ちだったんですが、わたしがギョロ目=二重の大きな目、、勝手に思い込んで、目だけ失敗しました。いやー、わたしも50年近く生きてますが、一重でこれほど大きな目をしたヒトは見たことがありません・・汗;  かなり珍しいケース・・)



あとはね、メガネだとか髪型だとかのほかの特徴はピッタリ一致・・

(一番びっくりしたのは、うちの主人ではないですかね。。

それ以来は、私が霊世界の話をしても、聞くようになりましたね。。)



いやー、今回、私の思い込みで、目の二重線のところだけ失敗しましたが、

そもそも考えてみると、最後に天界・神界のところで添削確認をしてもらえばよかったのです・・!


・・というのは、私が毎回作成する歴史上の人物の似顔絵は、

最期に必ず、天界・神界の境界で顔を確認してもらい、90点以上の精度になるまで手入れをし、お墨付き(最終確認)をもらってからアップしているのですが、

今回、このZさんの時は、それもやらなかった・・↓


今回のZさんの件は、大変よい経験になりました・・




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プロフィール

前世占い師エティース

Author:前世占い師エティース
(エティースと前世の子供Wes&Rao)


いただいている霊的お役目は、審神者(サニワ)です。
審神者だけに霊体の見分けを得意としております。
こちらの歴史霊視ブログでは、
金兎占」による、歴史上の人物の霊視ヴィジョンとその生涯を、
神界・天界のご神仏のお力をお借りして伝達してまいります。
(なぜ金兎というかは、こちら をごらんください。わたしの直前の転生来歴によります。)
わたしと前世・心霊世界の扉が開いたきっかけ、同調してくださる境界の神様達や、同居のスピさん(前世霊・縁の深い大家族霊)達との交流については、下記のメインブログをご覧ください↓





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